ルールに関わらず、山に残っている可能性が高い部分がわかれば、ターツを正確に選択することができる。
まずはこの全体牌譜、捨て牌の部分だけを見ていただきたい。(明るい牌が手出し、暗い牌がツモ切り)

手牌をオープンしたものが下記牌譜。
いつ頃だったか、主に若手プロの間で序盤に他家が打っている数牌の周辺が山に残っているという理論が流行しはじめた。
この牌譜で言うなら、東家の 、 、南家の 、西家の 、 、 、北家の がそれにあたる。
数牌は、孤立しているものから先に打ち出されるのが基本で、序盤に打たれた数牌の周辺が手の内にない可能性が高い。
西家と北家が を打っているから、西家と北家はマンズの上を持っていない。
南家に関してはXであるが、序盤に同じ部分の打牌が複数同時に現れたとき、その周辺の牌は山に残っている可能性が高いという理屈だ。
しかし、親の第一打の については、 を持っているのでそれには当てはまらない。
ときには、   や、   などの形から第一打に が打たれることもあり、大幅に裏切られることも十分にある。
だからといって「考えるだけムダ」と思考を放棄し、勘に頼った麻雀を打っていては、いつまでたっても上達は見込めない。
麻雀の読みの多くは傾向を読むもので、多少の誤差は知った上で使わなければならないものなのだ。
山を読むのは手牌を読む、のと同じことで、他家の手牌に偏りがあれば山に残っている牌も偏る。
山を読むために捨て牌読みは必須なのである。
《1》アガリに向かって打っている
《2》手役から読む
《3》メンツ手である
《4》手出し牌の数
以上の条件を加えて考えれば、今よりきっと、山読みの精度はアップすることだろう。
ここでもう一度牌譜を見ていただきたい。(明るい牌が手出し、暗い牌がツモ切り)
《1》アガリに向かっている
多くの打ち手の場合、役牌がキーポイントとなっており、アガる気がない局は役牌を積極的に打ち出さないことが多い。
この牌譜では、南家の打 、西家の打 はアガリに向かった意志表示であり、「真っ直ぐ」打っていると考えて良いであろう。
真っ直ぐアガリに向かった捨て牌は、他家としては読みやすく、きれいな河になりやすい。
相手の手牌を読む=山を読むこと、であるから、アガる気がない手牌に比べれば読む価値はある。
《2》手役から読む
《3》メンツ手である
東家は、変則的な捨て牌になっている。
、 、 と、三色打たれていることから一色手ではなさそうだ。となると、チャンタ系か国士無双。
説明するまでもないが、チャンタ系なら456の牌が手牌にないということがわかる。
国士なら危険牌から打ち出されるのが普通なので、場に3枚目となる が打ち出されたことをまともに考えると、相当早い可能性がある。
いちいち怖がってはいられないが、少しはそんな考えが頭をよぎるほうが良い。
また、トイツ手の可能性もある。
トイツ手に決め打ったのであれば、序盤に打たれた牌の周辺は十分持っている可能性がある。
そのときは1枚ではなく、まとめて数枚持っていることが多いので、まったく当てはまらないことになる。
《4》手出しが多い
これは、読んだ相手は本当に序盤なのか?と考えれば簡単な話しだ。
配牌が良かった場合は、1段目(6巡以内)でも終盤の捨て牌模様になっている。
不要な牌から順に処理されるのが普通であるから、手出し牌が多いほど序盤に打たれた牌の周辺が山に残っている信頼度が高まる。
以上を踏まえて、山に残っている牌を予測すれば、手牌進行に役立てることができる。
「序盤に打たれた数牌の周りは持っていない」ということについて、システム化するのは良いが、あまり単純に考えすぎるのはよろしくない。
知識を増やすことは、強くなるために即効性があるものではないが、理解しようとすれば確実に骨格を形成する。
ただ、いくら教科書を覚えてもそれが実践できるかどうかは別物で、それを確かめる、体に叩き込むトレーニングは必要だ。
覚えた知識が不安感や躊躇を生み出してしまうこともある。
読んだ結果が、消極的な打牌を呼んでしまわないように注意が必要で、せっかく得た知識がマイナスに作用してしまったのでは意味がないのである。
他人のデータをそのまま信用するのではなく、1つ1つ自分の目で確認し、試してみる。
その繰り返しが、微妙な選択の精度を上げることにつながる。
執筆:滝沢 和典
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