第1期鸞和戦 決勝レポート

【魚谷侑未が第16期女流桜花に続き優勝。今期2冠を達成】

鸞和戦とは?

2021年に設立された日本プロ麻雀連盟のタイトル戦。日本プロ麻雀連盟に所属し、予選初日の段階で男女問わず30歳以上49歳以下のプロだけが出場できる。

鸞和はらんわと読む。鸞とは中国の伝説の瑞鳥(縁起の良い鳥)である。鳳凰を助ける鳥である、鳳凰に次ぐ鳥である、「鸞」は雄の名であり、雌は「和」であるなど、様々な言い伝えがある。

鸞和戦開催概要はこちら

決勝進出者は以下の4名

 

 

 

 

 

1回戦は大物手が決まらず、かわし手や中打点のアガリで進行。

東2局1本場、魚谷発をツモれば跳満のテンパイだが、親番柴田が1,000オールのアガリ。

 

 

東3局3本場は紺野にダブ東暗刻、ドラ九筒暗刻のチャンスだったが、魚谷が1,300は2,200(+2,000)のアガリ。

 

 

1回戦オーラス。トップ目からラス目まで僅か1,400点差の大接戦。猿川が瞬間ラス落ちするリーチ棒を出すが

 

 

カン七索をツモって500・1,000のアガリ。全員捲りの1人浮きトップを取る。

 

 

2回戦は重いパンチが飛び交う打撃戦に。まずは魚谷がリーチタンヤオピンフツモドラの2,000・4,000。

 

 

東2局1本場は紺野が白ドラ3で2,100・4,100(+3,000)。

 

 

その紺野から直撃したのは柴田。三暗刻ドラドラで8,000は8,300(+1,000)。

 

 

南2局は猿川が柴田と紺野の2軒リーチに追いつき
ドラ暗刻の五索八索リーチ。8,000(+2,000)のアガリ。

 

 

徐々にアガリ合戦に負け始めた紺野が11,300点持ちから強烈な反撃開始。南3局1本場にメンホン白8,000は8,300(+1,000)をトップ目魚谷から直撃。

 

 

オーラスもメンホンのリーチ。高め一通の四筒をツモって4,000・8,000(+1,000)。

 

 

たった2局で劣勢を跳ね除け紺野が2回戦逆転トップ。

 

 

2ラスを引かされてしまった柴田は、3回戦に何としてもトップが欲しい。オーラスこの手をアガればトップ。ドラの東を切ってリーチ宣言をする。

 

 

この東にロンの声をかけたのは魚谷。ホンイツ一通ドラ3の12,300は3着からトップのアガリとなる。

 

 

鸞和戦は4回勝負。首位紺野から3位猿川までは11.2Pと接戦。

柴田は紺野と62.0差。大トップ必須の上に2着ともかなりの点差が必要となる。

東2局、魚谷が最初の勝負に出る四万七万六万フリテンリーチ。三色になる四万ツモを狙うが、魚谷が掴んだのは三万

 

 

猿川のカン三万に3,900(+1,000)の放銃となるが、次局2,100・4,100をツモってリカバリー。魚谷がトータル首位に立つ。

 

 

南2局。魚谷がドラ雀頭のカン二万待ち。猿川が二筒五筒待ち。

 

 

ここは紺野がピンフのヤミテンでアガリ、猿川の親番を蹴る。

南3局に猿川がペン三索待ちのヤミテン。二索五索のシャンポンに変えて、さらに四索七索に変わったタイミングでリーチ。

 

 

最後の親番を落とせない柴田のリーチ宣言牌が四索となり、猿川5,200のアガリ。

 

 

現状首位は猿川。

魚谷はこの半荘2,900差の猿川を捲れば優勝。
700・1,300以上ツモ
猿川から1,600以上
紺野と柴田からは3,200以上

親番紺野はおよそ2,000オールで並ぶ。

オーラス。魚谷がダブ南暗刻。ペン三索をチー。

 

 

六筒はドラ、九筒はチャンタが付くので、どこから何が出ても優勝のテンパイ。

一方、アガリ優勝の猿川。カン七索をチーして九筒トイツ落としとするが

 

 

九筒がすでに魚谷のロン牌。3,900をアガリ決着。

 

 

 

第1期鸞和戦優勝は魚谷侑未に決定。
女流桜花に続き3日間で2冠の快挙達成となった。

 

 

優勝 魚谷侑未
2位 猿川真寿
3位 紺野真太郎
4位 柴田吉和

第38期鳳凰戦A2リーグ第10節C卓レポート

第10節C卓に出場した選手は、一井+284.5P(1位)和久津+17.8P(6位)客野+5.5P(8位)山田▲77.8P(11位)の4名。

 

 

最終第11節は第10節までの順位で卓組が決まるシステムで

1月5日A卓→10・12・14・16位
1月6日B卓→は9・11・13・15位
1月7日C卓→5・6・7・8位
1月11日D卓→1・2・3・4位

という4つの卓に組み分けされ行われます。

昇級を狙うには4位以内に入って最終節を迎えることが重要で、中位にいる和久津・客野はここから100ポイント近くのプラスが必要な、4位以内を目指すか現状のポイントを維持して、8位以内で最終節を迎え残留を確実なものにするかの分かれ道にいました。

1回戦目を3着4着で終えた和久津と客野。
2人とも残留狙いへと意識が傾いていくかと思われましたが、和久津の性格はそれを許しません。

 

 

2回戦南場の親番で高目三色をツモアガリ4,000オールでトップを取ると

 

 

3回戦も勝負手で積極的にリーチを打ち続けて連勝。

 

 

4回戦でもリーチツモタンヤオドラ3で6,000オールをアガって目標クリアが遠くに見えてきましたが、4位には手が届かず終局しました。

首位スタートの一井は大きなミスがありながらも凌ぎ切り、最終節を昇級争いに巻き込まれない高さで臨めそうです。

 

 

<第10節C卓最終結果>
和久津+56.0P 一井▲4.2P 山田▲35.0P 客野▲36.8P

(文:越野智紀)

第38期プロテスト 執筆:菅原千瑛

初めて受けたプロテストから約10年。

私が麻雀プロになるもっと前、高校生だった頃、当時のバイト先(カフェチェーン店)の先輩とこんな話になった。

「好きなことを仕事にしたいか、否か」

大学3年生だった先輩は、バイトリーダーからそのまま社員になった。
「私はアパレルが好きで、好きだからこそ、それを仕事にした時、やりたくないこともやらされたりしてアパレル自体を嫌いになってしまうのが嫌で、だから2番目に好きで続けていけそうな飲食を仕事にしようと思った」と言っていた。
自分の好きなことを仕事として生業に出来ているのは日本全体の4%だから、とも。

将来についてはまだピンときていなかった。好きなことを仕事に出来たら最高だけど現実は難しいんだなと思った。

思えば小さな頃から多趣味で、様々な習い事もしてきた。部活も多数入った。が、どれもこれも1年も経たずに興味を失っていた。
麻雀を除いては。
中学生で覚えた麻雀は映像対局を観るのも実際に打つのも好きで、高校、大学と進学していっても変わらずよくしていた。
麻雀が、麻雀だけは、ずっと好きだった。たまたま、周囲にも麻雀好きが多かった。そんな環境が今に繋がっているのかもしれない。

強い人と打ちたい、もっと強くなりたい、そう思って日本プロ麻雀連盟の門を叩いた。

というのも、大学生になり、とある映像対局を目にして『荒さん(荒正義プロ)すごいなかっこいいな麻雀プロすごい!こんな風に打てるようになりたい!』と思った丁度その頃、近代麻雀でプロテストの存在を知ったのだった。
誰にも言わずに書類を送った。誰にも訊かなかったが故に『現金書留?よく分からん』と現金を送りつけるくらいは無知だった。伸びしろだけは一等賞!と謎にポジティブだった。受けると決めてからはワクワクしていた。
思えば人生の分岐点だった。

大学の入学式ぶりに袖を通したスーツを身にまとい、緊張とワクワクで迎えた初めてのプロテストは不合格だった。しかしプロテスト実技の際に「女流勉強会というものがあるからそれに出てまた半年後に向けて勉強したら良いよ」と藤原さん(藤原隆弘プロ)に言ってもらえて、その半年後にプロテストを受け、初めて受けた丁度1年後、麻雀プロとなる。(今は正規合格、半年間の研修期間ありの育成合格もある。プロテストを受けるにあたっての詳細は日本プロ麻雀連盟HPから”プロテスト”で検索!)

プロテストを受ける中で、
“死ぬまで麻雀プロでいよう”
いつからかそう思うようになっていた。
たとえ結婚しても子供が産まれても、おばあちゃんになっても続けるんだと。

そうして、気付けば好きなことを仕事にしていた。

確かなことは、決して楽な道のりの10年ではなかったということ。
それでも、あの時プロテストを受けて、麻雀プロになって良かったと胸を張って今は言える。
これからプロテストを受ける方々が、10年後、麻雀プロになって良かったと思える未来を願うばかりだ。

プロテスト