中級

中級/第87回『見えないもの』

今回は、「メンタル」や「運」「流れ」といった、見えないものについて書いていこうかと思います。
まず麻雀は、リアルであろうとネットであろうと、CPUが相手ではない限り、人対人の戦いであるということを理解しないといけません。
特にネット麻雀では、相手が画面であるので、この意識を持ちづらいとは思いますが、常に相手が3人とも目の前にいるものだと自覚しましょう。
そして相手が人であるならば、感情というものが存在します。
この感情という部分は、決して見えるものではありませんが、相手の感情を理解する事も麻雀において、非常に大事な事だと思います。
最近、運や流れといったものに対して、皮肉の様な言葉をかけるデジタル派という方々をネット上なんかでよく目にしますが、そのほとんどがそういった見えないものを頭ごなしに否定し、食わず嫌いな状態であると見受けられます。
別に肯定しろと言っているわけじゃないのですが、自分はどんなものであろうとも実際に目で見て耳で聞いて、
初めてそれが有用であるかどうかを考えるタイプの人間なので、こういった食わず嫌いな事に対してあまり理解できません。
そもそも、デジタルとかオカルトとかいう論争というか言葉なんて、ネット上でしかあまり耳にしませんし、
実際に雀荘にいってそんな会話している人もあまり聞きません。
それに、麻雀は最初にも書いた通り感情を持った相手が常に3人いるわけですから、自分がデジタルだどうこうの前に、相手がどういうタイプであるかを考えなければなりません。
なので、まずは相手を理解する為にも自分がどうこうではなく、相手のタイプを知るためにも食わず嫌いは止めたほうがいいと思います。
デジタル、オカルト(そもそもデジタルの逆はアナログかと思いますが)といわれるものを両方知った上で、どちらかに傾倒したとしても、もう片方の知識は人を相手に麻雀を打つ上で間違いなく価値のあるものになる事でしょう。それだけ知識の幅が広がるのですから。
とはいっても、運とか流れなんて意味がわからない。
ごもっともな意見だと思います。
見えないものは見えないから、計算すれば見える確率論の方がわかり易い。
これももっともな意見です。
運や流れは人それぞれ解釈が違うし、必ずしもそれが毎回良い結果になるかもわからないので、いきなりそういった話をされても中々理解するのは難しい。
それなら、まずはわかりやすい部分から説明をしていくとしましょう。
麻雀を打っていて、今日はツイている、ツイていない。こういった感情を持つ事は多々あると思います。
どんな待ちでもリーチしてツモれたり、逆に3面張や5面張といった待ちが、カンチャンやペンチャンに何度も負けたり。
もちろんツイている日もあればツイていない日もあると思います。
自分はここに流れや勢いといった要素の根本があると考えます。
例えば、ツイている日は普段よりも攻めてみたらどうでしょう?
逆に、ツイていない日は普段よりも守ってみたらどうでしょう?
断トツのトップ目に立ったとき、リーチに対してあまり手が整っていないのでオリたら、結果的に、自分のアガりの方が早かった時はありませんか?
逆に、断トツのラス目で早い好形のテンパイが入ったら追いかけられて放銃してしまった事は?
誰にだってこういった経験はあると思います。
もちろん、これを確率的にたまたまと結論付け、長い目で見れば収束すると完結してしまうのも1つの考えです。
しかし、本当に麻雀の確率という要素は収束するのでしょうか。
麻雀は非常に複雑なゲームです、136枚の麻雀牌を4人のプレイヤーでやり取りするわけですから、例え1局であろうとも、その組み合わせは無限と言っても差し支えのないぐらいのものです。
そんなゲームを1人のプレイヤーの打ち筋が確率どおりに収束するには、果たしてどれだけの試行回数が必要なのか。ちょっと自分には想像がつきません。
少し話が逸れますが、パチスロみたいに1日8000回転も回せるような物であっても、1日単位で機械割通りに収束する事は稀です。数十万、数百万いう回数を重ね、初めて確率通りに落ち着くものです。
それに比べ、麻雀は1局でも数分、1半荘なら数十分から1時間程度かかります。
そもそもゲーム性が全く違うので、同列に扱うのは間違っているとは思いますが、それでも半荘を数十万、数百万と打てる人はこの世にはいません。
どんなに頑張っても、月に数百、年間では数千といったところでしょう。
話は戻りますが、そんなゲームである以上、麻雀を確率で全て語るのは難しいのではないかと思うのです。
特に我々麻雀プロは、リーグ戦や各種タイトル戦において、限られた回数内で結果を出さなければなりません。
どんなに何切る問題で正解を出せる人がいたとしても、タイトル戦やリーグ戦で優勝出来なければ意味はありません。
その短いスパンで結果を出すには、確率以外の何かが必要ではないでしょうか。
その何かというのがツキ、流れといったものだと思います。
もちろんそういった要素は目には見えません。
しかし、各々が長い年月をかけて麻雀を打ち続けた結果、自分の中で構築されたシステムが出来上がります。
数学的な根拠はなかったとしても、経験則と言う名のバックボーンに裏づけされたものです。
自分の中で、それに従った結果、確率以上の何かを見出せたのであれば、それは立派な戦術であり、戦略といえます。
大先輩である荒正義プロは、10年程前にマスターズと王位を同じ年度内で優勝しました。
マスターズの参加者は200名前後、王位戦はベスト72シードだとしても、単純に優勝する確率は14400分の1
さらに、どちらの決勝にも藤崎智プロが残っているとなれば、最早確率じゃないですよね。
当然、実力といった要素が含まれれば確率は変動するでしょうが、4人で戦う以上、毎回トップが取れるなんて漫画の世界の様な人間は存在しません。
それでも事実、こういった事が度々起こるのは、いかに自分のツキや調子、バイオリズムなど見えないステータスが上向きな時に、それを信じて戦う事ができたのではと思います。
自分も今でこそ、あまりうだつの上がらない存在になりつつありますが、連盟に入って12年の中でA2リーグに昇級、王位戦優勝、十段戦決勝、A1リーグに昇級といったそれなりに、輝かしい経歴は集中した時期に起きています。
もちろんプロになった頃に比べて、実力的な部分も大きく変化したとは思いますが、ツキのある時期に自分のパフォーマンスを生かす事が出来た結果、実力以上の結果を出せたと考えられます。
さて、そんなツキですが、これはどんな人でも一定ではありません。
宝くじで1等が当たる人もいれば、何十年と買い続けても毎回300円しか当たらない人だっているのと一緒で、
麻雀においても、ツイている人もいればにツイていない人だっている事でしょう。
しかし、ツキというものは非常に繊細なもので、ひょんな事から自分に寄ってくることもあれば離れていってしまう事もあります。
小さいミスであったり、相手のファインプレイであったり、原因は様々ですが、自分の中で考える一番の要因は感情にあると思います。
どんなにツイいたとしても、そのツキを持った人間の感情がネガティブなものであれば、自分を信じる事が出来ずにせっかくのチャンスを生かす事無く終わってしまいます。
逆に、ポジティブであればツキを生かして、大きなチャンスを生み出す事ができるでしょう。
病は気からという言葉がある様に、自分はダメだとか、勝てないとかそんな感情に満たされてしまえば、それは打牌にも現れ、攻めるべき状況でも常に安全牌を抱え、簡単なアガリを逃しをしてしまいます。
そして、いつしか自分が攻めるべきではない状況で攻めざるを得なくなり、それが大きな失点に繋がっていきます。
どこかで聞いた事のある話ですが、去年の11月、12月の自分のリーグ戦での戦い方です。これ。
ネガティブであるという事は、本当に自分がツイてなく守るべき状況であれば失点を小さく済ます事ができるかもしれませんが、基本マイナスでしかありませんからね。
とはいっても、ノー天気に考えろというわけではなく、あくまで自分の状態や場の状況に合わせてポジティブになれということです。
まずは真っ直ぐいって自分の状態を見極めてから、それにあった打牌を行うという事を聞いた事があるかもしれませんが、全く持ってその通りだと思います。
見えない物を恐れて逃げ回るのではなく、まずは戦う事によって相手の力量を知ることが大切です。
恐れて逃げ回っていた相手は、もしかしたら小さな蟻なのかもしれないわけですからね。