中級

第68回『懺悔』

南2局、西家5巡目(一筒2枚切れ)

一万二万三万九万一索二索三索七筒八筒九筒九筒南南 ツモ二筒 ドラ二索

A2リーグに吉田直(ヨシダタダシ)という打ち手がいる。
打点力を重要視する彼にこの手牌がやってきたらまず間違いなく、二筒以外を打つだろう。

ご覧になった方も多いかと思うが、上記手牌は近代麻雀主催、最強戦新鋭プロ代表決定戦の決勝卓の私の手牌だ。
最強戦新鋭大会のオンエアー翌日、

吉田「いや〜タッキーのせいで俺のPCがぶっ壊れるところだったよ」
__『すんません…』
吉田「あの時一筒は何枚打たれていたの?」
__『当時は2枚です』
吉田「2枚かぁー、関係ないじゃん!」
__『タダシ君ならそう言うでしょうね』
吉田「俺は細かいことはわからないけどさ、タッキーが正しいと思って打ったならいいんじゃない?」

68_01

得点は現在、以下のようになっている。

瀬戸熊直樹=37,200
滝沢和典=33,400
鈴木達也=27,200
佐々木寿人=2,200

半荘1回勝負で、1位のみが次のステージである各予選から勝ち上がりの16名のトーナメントに進めるというシステム。
2着以下の評価に差はなく、全員が優勝以外に目的はないという条件で打つため、
親決めで北家を引いた私は、かなり有利な戦いになると予想していた。

こういった決勝戦のような条件戦では、残り局数が少なくなるほど点数が少ない者の打牌が制限されてくるため、
最後の親番が、もっとも有利な展開になるケースが多いからである。

この場面、私は打二筒とした。

対面、鈴木達也さんの一筒がトイツ落としなのは知る由もないもないが、単純に現在の一筒の枚数で選んだ。
とにかく一筒を使ってアガらなければ、チャンタも三色も消えてしまう。
その肝心な一筒が早くも2枚見えているのだから、手堅いアガリを目指そうと考えたのである。

チャンタのくっつき、または六筒を引いてのシャンポン待ちでも、南でアガれば打点力はそこそこ。
かなり有利なラス親も控えているため、まずは確実にアガリをものにして、現状のライバルである瀬戸熊プロに追いつくこと。
つまり、5,200をベースに考えて出した結論が打二筒であった。

結果はすぐに最後の一筒を持ってきて、チャンタ三色のテンパイ形を逃したあと、下家・佐々木プロからリーチがかかる。
仮に二筒を残していたなら、おそらくリーチと声を出しているであろう。
二筒を残すということは、局のテーマが打点を求めるということになるからだ。

そこに持ってきたのがアガリ逃しとなる三筒。これは本当に足にきた。
しかし、この程度の裏目は麻雀において良くあることで、
打牌選択の背景がしっかりしていれば、どういった結果が出ようと後悔なんてする必要はないはずだ。

問題はこの後である。
ここでもう一度牌譜を見ていただきたい。

68_02

リーチに対して打二万をメンツから抜いてオリるのだが、これが非常にだらしない。
点数がない上に、親番もない所からのリーチなのだから、それなりの打点になっているはずで、
345の手出しからはタンピン形も消去され、巡目が進むにつれて手役も限定されてくる。

もうひと粘りしなければお話しにならない場面なのである。

さらに言えば、メンツを壊してオリるならば、他家の反撃に備えるためにも三索の方から打たなければならない。
頭が怠け、思考を放棄したひどい牌譜を残してしまった。プロとしてこれほど情けないことはない。
結果はもちろん大事だが、同じ負けにしても“負け方”が良くない。
先ほど並べた理由が実際に対局中に私が考えたことであり、それが私の打牌の背景であるわけだが、
たった裏目ひとつでぐらついてしまうということは、結局はその背景がしっかりとしていないということなのである。

吉田直とは、普段からトレーニングの場面で一緒になることが多いが、とにかく努力を惜しまない打ち手だ。
冒頭の会話のように「細かいことはわからん」といったように茶化すのは彼のお決まりである。
その「細かいこと」は、彼がわざと無視している部分なのか、それとも足りない部分なのかは本人しかわからないが、
麻雀の理屈やシステムを人一倍理解しようとしていることは普段の取り組み方からわかる。

ある日の勉強会。
親番の私は仕掛けてテンパイが入っている。
おそらく他家の視点からもテンパイか、それに等しい形が入っているように映っていることだろう。

七万八万九万一索二索三索五索六索八索八索 ポン白白白 ドラ八万

下家の吉田にもテンパイが入っている気配がある。
普段から感情が打牌のモーションに現れやすいこともあるが、他家がオリ気味に打牌していることで吉田は勝負手が入っている可能性が高い。
数巡前に二索を打っている私は、ツモってきた一索を手出しで打った。四索との振り替わりに見せかけて四索七索待ちの印象を薄めるためである。

対局後、1人の対局者が「滝沢さん、あの局って三索が入り目ですか?」
するとすかさず吉田が「あーあのズルイ空切りの局ね」と答える。

つまり、まるで何も見ていないようなスピード、モーションで打っていた吉田は、私の空切りに気づいていたということである。
これはほんの一例で、吉田が「細かいこと」と称するようなことが少しずつではあるが、確実にインプットされている。
公式戦などの舞台に対して、緊張し集中するのは当たり前だが、トレーニングでも同じようにテンションを高め、集中力を持続させることは大変なことだ。

昨年度のリーグ戦で私はA2から降級し、前期でA2リーグに昇級を決めた吉田とは入れ違いになった。
その晩酒を酌み交わしたのだが、彼は私の降級に対して涙を流した。
それは、当時の私の努力や思い入れを認めてくれてのことであろう。
しかし不覚にもそれを裏切る譜を残してしまった。

時間やお金をかけて見てくださっているファンの方を裏切るような打牌。
そして、素晴らしい仲間の涙を裏切るような麻雀はしてはならないと、改めて感じた。

この場面で何を打って失敗した、成功したというのは解釈が様々な以上はどちらにしても結果論として片づけることができてしまう。
メディアには断片化されたものが掲載されるが、そこに至るまでの過程が最も大切な部分で、
日々、遊びではない麻雀を打ってトレーニングを積まなければ、本当の意味で鍛えられることはない。

そして、それを継続するには、凄まじいまでの思い入れが必要なのである。

麻雀は楽しい。
楽しい遊びを伝えるプロは、死に物狂いで取り組まなければならないと思う。