中級

第77回『ミスと向き合う』

最近、どうも真っ直ぐな麻雀が打てていない。
それは即ち、自分の麻雀が打ち切れていないということであり、ある意味フォームが壊れかけているということでもある。

3月下旬のセット麻雀の晩、感想戦を兼ねた食事会で、私はそんな今の思いを打ち明けた。
山井弘、滝沢和典、そして岡田茂というメンツだった。

「手なりが下手になってるんじゃない?」

真っ先にそう返してきたのは、同期でもある岡田だった。
的確というのは、こういうことを言うのだろう。まさにその通りだった。

以前と比べ打牌に時間を要したり、アガリを逃す局面が増えたのも、それが一因となっていることは間違いない。どこかに迷いが生じているとも言えるかもしれない。

今期プロリーグ開幕の前日、今の自分の状態を計ることと、最終調整を兼ねてセットを組んだ。
メンバーは前原雄大、杉浦勘介、岡田茂、そして私である。

初戦は8ポイントほど沈んだ3着。迎えた2戦目、案じていたミスがここで出る。
北家スタートの私は、開局に杉浦からリーチのみの1,300を出アガる。
東2局は、杉浦が前原から2,000の出アガリ。そして東3局、杉浦のアガリ親となった。
4巡目、私の手牌は以下のものとなる。

四万五万七万八万九万三索四索七索八索二筒三筒八筒九筒  ツモ三筒  ドラ九筒

二筒。さすがにこれは二筒を外す手である。
しかし、次巡のツモ三筒は微妙だ。

四万五万七万八万九万三索四索七索八索三筒三筒八筒九筒  ツモ三筒

789の三色を見るなら、当然四万五万三索四索を払う手なのだが、いざ両面ターツを外すとなったときに、明確な判断基準がないのである。捨て牌から色に偏った切り出しをしている人間はいないし、三万六万二索五索も顔を見せていないのだ。なら三筒ツモ切りはどうか。これはドラが重なったときに一手遅れるため、やはり選択肢には入れ難い。

結果的に、私は四索から外したのだが、これもノータイムではなかった。

麻雀は迷いを生みやすいゲームである。選択の連続であるから、それは仕方がない。
しかし自分の経験から、すぐに答えを出せなかった打牌が好結果に結びついたことはほとんどないと言っていい。

迷いが生じるのは、ビジョンがないからである。
今ここで自分が何をすべきか、局が始まる前に最低限それくらいは考えておかなければならない。
この局で言うなら、まず次局が親番であるということ。
そして、この手牌をどうしても三色に仕上げなければならないのかということである。

一言に手なりと言っても、打ち手によってその捉え方は様々である。
競技麻雀の手なりは、やはり四万五万、或いは三索四索を払っていくことだと思う。
しかし、現在の状況を加味しないことにはそれも語れない。

例えば、収束を図る局面での八筒九筒残しはテーマに合致しない。恐い親に立ち向かうときもそうだ。
打点を落としたとしても、より確実なアガリを優先させなければならない。
いつも同じ打ち方で勝てるのなら、誰だって苦労はしないのである。

では実戦の経緯を追ってみよう。

7巡目
四万五万七万八万九万三索七索八索三筒三筒三筒八筒九筒  ツモ六索  打三索

8巡目
四万五万七万八万九万六索七索八索三筒三筒三筒八筒九筒  ツモ六万  打八筒リーチ

牌の来方はいかにもスムーズに見える。
しかし、この局のテーマがずれていることもはっきりわかる。

それは当然、私の中にこの局の心構えが出来ていなかったからである。
ただぼんやりと手牌だけを見て、大局を見据える努力を怠ってしまったのだ。

ソーズの両面ターツを払って九筒単騎でのリーチに踏み切るまで、北家の前原が切った発を親の杉浦が一鳴きしている事実もある。

その選択を下してからではもう後戻りは出来ないが、歪んだ局面を作り出せば、必ずしっぺ返しを喰らう。

三万三万五万六万五索六索七索東東東  ポン発発発  ツモ七万

終局間際のこの2,600オールを皮切りに、杉浦にこのゲームを完全に支配されてしまった。
このアガリに至るまで、二索五索はこれでもかと河に打たれ、当然のように自分でも引いていた。

四万五万六万七万八万九万三索四索六索七索八索三筒三筒

やはり自分の麻雀は、この形でアガって親を迎える方がしっくりくる。
この手だって三万六万と振り変われば魅力のあるものになるのだ。
上目の三色を狙ってどう転ぶかわからない状況を作るよりは、随分と安定性があるように思う。

麻雀は誰かのミスが、他の誰かを浮上させることにつながりやすくできている。
突き詰めていけば、1巡の差を争う戦いだからである。

例題のような局面は今までも何度となく経験したし、きっとこれからもやってくることだろう。
それら全てに正着を打つことは不可能である。しかし、正着を打つ努力をすることは大切である。

過去の経験を元に、いかにミスと向き合うか。
行く着く先は、結局その部分なのではないだろうか。