上級

上級/第117回『~無限に考える~』 前原雄大

若い頃は麻雀が強くなるため、強い相手とプレッシャーのある場面でどれだけの数をこなしたか。
言葉を変えるならば量は質を超える。私はそう言い続けてきたし、そう綴って来た。脳はやわらかいし、吸収力も若い方が優っている。
プレッシャーと記したが、要は緊張感のある場面である。
緊張感のない麻雀を打つくらいならば、やらないほうがマシとさえ思っている。
ここまでは10年以上前の私の考え方である。
根本的な部分は変わっていないが、付け加えるに、ロン2を打ちこみ牌譜再生機能を使い対局中の感覚、選択などを確認することが大切なことである。
これも同じことが言えるのだが、出来る限り集中力を持ってやるべきである。
先日、荒正義さんに電話したおり、
「今、ロン2をやっているから折り返し電話するね」
荒さんにしてもこうなのである。
そして、数年前、スタジオが出来た。これは革命的なことで、良いも悪いも全てさらけ出される。
それぞれ個性的な打ち手ばかりで、取る方法論も組み立て方も違い飽きさせないのは私だけだろうか。
ここで、大切なことは、誰か一人自分の好みの打ち手を見つけ出し、真似をすることである。
真似というと語弊があるかもしれないが、考え方、組み立て方を模倣するのである。
模倣をし続けると、やがて新しい自分が見えて来てそれは、個性となるからである。
とにかく、やり続けることが大事なことである。このことは、プロも一般の方も関係ない。
私個人の好みは、実は藤崎智さん、前田直哉さん辺りなのだが、私が彼等のような麻雀を打っても勝ちには繋がらないように思う。
好きな服と似合う服が違うように。
ただ1人、真似をしない方が良い打ち手がいる。
古川孝次さんである。
対局中も感じることなのだが、帰宅して見直すと、思わず飲みかけのコーヒーを吹き出してしまうくらいの初動なのである。
御本人に尋ねたところ、
「良くは覚えていないけど、、、多分、ピカッと光ったのでしょう」
天才型なのだろう。
ただ、言えることは、どう打つかを考えるのではなく、どう映るかを考えているは間違ってはいないことだろう。
強い打ち手がいると聞けば何処へでもすっ飛んで行った若い頃、まだ連盟も存在しなかった頃に名古屋で出遭ったのがおつきあいの始まりだった。
当時の古川さんはオーソドックスで長打の印象を受けた。
何がきっかけだったのかは知る由もないが、灘麻太郎さんの模倣から始まった。そして、古川孝次という個性を確立なさった。刻み込んで行く麻雀と言えば分りやすいか。
 
 
 
100
 
前局、5,800点をアガって迎えた1本場。
一万五万七万三索三索四索五索六索二筒三筒三筒九筒南白
手としては屑手である。映像には、映ってはいないが、5巡目に上家の古川さんが早速と言った感じで二索のポンが入っている。
五万六万二索二索五索七索四筒四筒六筒南南西西  ポン二索  打五索 上向き  ドラ四万
その仕掛けのおかげで私のツモが伸び9巡目にテンパイが入る。少考の末私は打三索のリーチを打つ。
五万六万七万三索四索五索五索六索二筒三筒四筒南南  リーチ
結果は流局である。
局面を見れば解る通り、古川さんの仕掛けはタンヤオよりも後ヅケの可能性が濃く映った。
解説の勝又健志鳳凰位が語る。
「マチ選択を考えたのか、リーチに行くかどうかの選択を考えたのか?」
白鳥翔
「そういうことを考えると無限に考えなければいけないことがありますよね」
勝又
「そこが麻雀の面白い処の一つで、無限に考えたい」
麻雀プロとして、素晴らしい言葉だと感じた。
そして、麻雀プロの本来あるべき言葉だと胸を打たれた。
勝又さんだけではない。瀬戸熊直樹さんの熱く対局者に語る口調も大好きである。
気になった部分は紙片に綴り、そっと対局者に渡すと滝沢和典さんから聞いた。
藤崎智さんの目の高い解説は、どこまでこの男は局面が読めるのだろうと勉強になるばかりである。
ベテランの解説もそれぞれ、様々な眼を持って後輩への愛情を感じることが少なくない。
数年前、私はコラムで記したことがある。
麻雀プロの辛い処は起きている間ずっと麻雀のことを考えてしまうこと__。
陳腐な言葉だが、実際そうなのである。
強くなりたければ、解説者の言葉に耳を傾け、無限に考え、打ちまくるしか道は無いように思う。