上級

第119回『麻雀はその人となり』 前原雄大

ここ4、5年間の事を振り返ってみる。
4年程前に私はA1からA2に降級している。原因はハッキリしている。
リーグ戦も半ばを過ぎた辺りでトータル首位に立ち、ポイントも100を超えていた。
残り節数も4、5節あるというのに、私は決定戦の調整に入ってしまったのである。驕りである。

皆が皆、目の前の一局、一半荘に誠実にそして全力を傾けているといのに、、、。

きっかけは局の序盤に近藤久春さんに飛び込んだ中だった。
近藤さんは六索をポンして打五索の1つ仕掛けが入った局面だった。私はその仕掛けでドラである、カン八筒が埋まった。

一万二万三万七万八万二索二索四索四索五索七筒九筒中  ツモ八筒  打中

私の中でゴーサインが出たのである。誰かの仕掛けで急所の牌を引きこんだときは基本的には前に進む。前巡、完全安全牌の北が近藤さんの手牌から打ち出されてきた。

テンパイだな__。
そして北家の私に九万が入り私は打中。その中に近藤さんから声が発せられた。

「ロン11,600」

開けられた手牌は

六万七万八万七索七索八筒八筒八筒中中  ポン六索 上向き六索 上向き六索 上向き

手出しツモ切りは見ている。近藤さんの入り目は八万である。点棒を支払いながら、なるほどナと考えさせられた。
近藤さんの仕掛けの形は理解できたが、発想法が独特なのである。
1シャンテンの形は以下のものに間違いない。

六万七万五索六索六索七索七索八筒八筒八筒北中中

千人いれば千種類の麻雀観があると私は考える。どれが絶対的正着打は無いとも考える。
私ならばこの手牌はこの形からは仕掛けない。正確に記すならば仕掛けられない。この反射神経は素晴らしい。
近藤さんは、おそらく毎日のように鍛錬を積み重ねこの反射神経を養い続けA1まで駆け上がって来たのだろう。

ロンの発声も何処か申し訳なさそうだったことは今でも鮮明に覚えている。
シャイな男なんだナと好感を覚えた。

近藤さんの仕掛けをタンヤオと思い込んだのも拙かったが、ツモ八筒に感触があったとしても、良くなかったのは私の残り手牌にある、四索のことである。
この四索は生牌であり、仮に六万九万が埋まったとしても四索を打ち切れるか、もしくは二索四索のシャンポンでアガリが見えるかという問題である。
そこにアガリ形が見えない以上、中を打つべきではないと今は思えるが実戦では解らないというのが本音である。

近藤さんは当時パンチパーマだったと記憶しているが、今ではダンディと呼ばれるように服装風貌も変わられたように麻雀の質も変貌を遂げられた。
ただ、変わらないのは打点の高さである。
いずれにしても、この放銃がトラウマになり、ほとんど対近藤戦は圧敗を重ね決定戦はおろか、A2に降級となってしまった。

降級そのものは己の過信や驕りが招いたことで仕方がないことだが、降級を意識し出した頃、望月君から言われた言葉に従わなかったことは悔いている。

「下を見るのではなく決定戦を見て麻雀を打ってください」

その言葉に従えなかったのは、その時の己の器の小ささに他ならない。
連盟を誇りに思っていることの一つに、上下の関係を飛び越して言うべきことは本人にハッキリ言うことにあると思っている。
視聴者がいる以上、それぞれがベストパフォーマンスをしてほしいという願いの言葉だったのだろう。

A2から昇級できたのは、これは幸運以外の何物でもない。
牌姿は省くが、内川幸太郎君が発単騎のリーチを打っていれば、佐々木寿人君がメンチンに手を伸ばせば私の昇級は無かったように思う。
A2にいた時も常に考えていたのは、A1に昇級したときにいかなる麻雀を打つかだけだった。
答えは中々でなかった。

A1に昇級して最終節を残した時に、トータル2位に着けながらも決定戦を逃した。
最終戦などは何もさせてもらえなかった。
決定戦を逃したことよりも、勝又くんに何もさせてもらえなかったことが問題としては大きかった。

最終節の少し前、紺野真太郎君と話す折りがあった。
「今回は勝ちに拘ろうと思う」
「それはどうかと思います。前原さんには飛んで欲しい。それは、プロレスラーの武藤さんが膝を痛めてもムーンサルトプレスをやり続けるように、、、」
そんな話だった。

紺野君の言葉を聞かずに私は惨敗を喫した。このことも、やはり、私の器の問題である。
勝ちに拘らず飛んでさえいれば、己ずと勝ちを掌中にできるだろう__
そういう紺野君のメッセージに思えてならない。

そして、33期リーグ戦を迎えるに当たり、戦い方は決まっていた。

瀬戸熊直樹さんの言葉である。
第32期プロリーグを全節プラスにまとめあげることを言っていた。そして、それに近い形で決定戦に残った。
このカタチの麻雀はかなり難しく思えたが、遣り甲斐はあることは間違いなかった。

それまでの私のリーグ戦の臨み方は100ポイントオーバーの節を2度作れば良いという考え方だった。それが、私に似合うと思い込んでいた。全節プラスにするには、難点も多いことも予測していた。
親番に固執しないこと、受けのちからを鍛錬すること、切り込み方が甘くなることも想定された。簡単に言うならば、膂力に頼らず麻雀に誠実に向き合うということである。

集中力を高めることは絶対条件である。身体を作らねばならないことも解っていた。
それとできるだけ早寝早起きをして、睡眠の質にもこだわった。6月から始めたホットヨガは身体もそうだが、心の在り方、呼吸法を学べて良かったように感じる。

図を見てください。

 

100

 

結果は四筒の放銃で終わっている。手牌にはドラである南が残っている。
仮にこの四筒が通ったとしたらドラの南はどうするか。答えは簡単である。
三色ならずのテンパイであったとしても、南は打ち出す覚悟はしていた。
南を残したのは重なる可能性を見たことと、テンパイしていなかっただけである。

この構え方が良いかどうかは別である。私は何十年もそう打って来たし、これからもそう打って行く。入り方とはそういうものだと私は思っている。
放銃を想定して、次局以降の戦い方さえ考えておけば何ら問題は無い様に思う。
それよりも、恐れるべきことは腰が引けたような戦い方をすることに他ならない様に思えてならない。

私が私であるが為にそう戦って行きたい。
麻雀はその人となり__。
この言葉に尽きると私は考える。