プロリーグ(鳳凰戦)レポート

第31期A2リーグ第1節レポート 前原 雄大

「昇り行く朝日と沈み行く太陽」

数年前、私はA2レポートを記したことがある。
正確に記すならば、編集部にお願いして書かせていただいた。
理由ははっきりしていた。申し出るその数日前、滝沢和典がA2を降級したからである。

その日の事は今でも良く覚えている。
佐々木寿人と午前のリーグ戦が終わり、セットでもやろうかと銀座の街を2人歩いていた。

「滝沢は大丈夫ですかね?」
「そういうこと{降級}は無いから」
「でも、かなり調子が悪く映りましたが・・・」
「格違いという言葉があるのは知っているでしょう。」
「はい」
「段違いは?」
「何となくわかります」
「とにかく、仮に滝沢が落ちるようなことがあるとしたら、それだけA2のレベルが高いということだから、心配する必要はない」

私はそこまで言い切った。
その日の晩、滝沢からメールが届いた。

「申し訳ありません。降級しました」
私は少し狼狽え、その理由を一晩中考え続けた。

当時のA2の打ち手は、滝沢もそうであったが、ほとんどの者がA1の観戦をするものがいなかった。
これからA1に昇る意識があるならば、相手の戦い方、戦略、こころの在り方それら全て知りたいと考えるのがプロ意識というものであろう。

囲碁、将棋、スポーツ、どのジャンルに関わらず、競技と名のつくモノに身を置いているプロならば、必ず頂点の戦いは観る。
舞台を観ずして、どうやってその舞台で己の全ての能力を出し切り、演じきれるのだろうか?
要はプロ意識の欠如に他ならない。

「今の連盟の50代、60代は強い。」

そういったのは瀬戸熊直樹である。それも違うように思えてならない。
20代、30代が弱いだけのように思える。

どこの世界に、50代、60代の選手がトップを走り続ける世界があるのだろうか?
体力、気力、反射神経、視力、記憶力、全て急速に衰えているのが我々の世代である。
そして、その衰えを日々はっきり自覚するのも我々の世代である。

経験値、大局観の差などたかが知れている。
20年ほど前、あらゆる対局の決勝の場には観戦し続ける沢崎誠の姿があった。
立会人ということもあり、ここ10年は必ず瀬戸熊直樹の姿があった。
やるべきことをやり続けた者と、やりたいことしかやらない者との差は、年月とともに開いていくばかりである。

私が1年間レポートを書いて解ったことは、A1とA2の違いは自分の手を中心に打つか、相手3人の心、状態を中心に麻雀に立ち向かっていくかの違いだと考えた。

それにしても良い時代になったものである。
パソコンの前に座っているだけで対局が観られ、解説が入り、対局者の感想戦が観られるのだから。

新陳代謝のない世界は滅びる。何十年も前から私が記し続けた言葉である。
私自身に関しては、簡単に記すならば、麻雀に対して「堕落」した日々のツケが廻ってきただけのことである。

今回の降級はA2リーグということでなく、神が与えてくれたチャンスと思っている。
数年前、生涯現役をうたった私にとって、己の堕落を神が示唆してくれたものだと考えている。

第1節に関しては、結果そのものよりも内容が悪い。
リャンメン待ち以外、全てヤミテンに構えてしまった。
構えるというよりも、そういう手組に持って行ってしまった。

1回戦開局

四万四万五万五万五万七万七万八万八万九万九万四索六索  ツモ八索

私はここから打四索と構えている。自然とも思える打牌ではある。
幸運なのか不運なのかアガれた。おかげでトップを獲れたのだが、それでいいのかと今も思っている。
六索も候補の中にあった。恐らくアガリはなかった。
開局だからこそ、アガリ辛い打四索とやわらかくしたものだが、開局だからこそ、打六索と構えるべきだったのではないかと思う。

一度こういう構え方にしてしまうと、その日1日その構えに終始してしまう。

「随分、窮屈そうな麻雀を打ってましたね」

帰り道に佐々木寿人が言っていた。まさにその通りである。
きちんと放銃してきちんとアガる。やはり、今年のテーマはこれで行こう。

A2の皆様ご覚悟召されい。
ビュンビュンボールを投げまくりますので、ビーンボールになったら何卒ご容赦くださいませ。

最後に、最近お気に入りの言葉を記す。
「私は毎日素振りしていた。ただ、王貞治はわたしよりもっと素振りをしていた」

野村監督の言葉である。
生命力に溢れた、昇り行く朝日を相手にするならば、沈み行く夕日のような私はそうするしかないだろう___。