鳳凰の部屋

「~無冠~」 HIRO柴田

「紅顔のアサシン」「華の17期(A1リーガー多数、鳳凰位獲得者は前田、勝又)」「無冠の帝王」とキャッチフレーズは色々あるが、無冠の帝王だけは本当に微妙でした。
麻雀プロとして23年目、A1リーグ在籍、成績も自分で言うのもなんだがそこそこ優秀、周りから評価されているのは自然と伝わる。
だが、それだけであってここ一番芯の強さ、勝負強さに物足りなさを感じさせてしまうこのフレーズを、いつか払拭したい、そして勝ち取りたいと思う日々が続きました。

そんな僕がタイトル獲得までに至る経緯や想いを「鳳凰の部屋」で伝えられるよう今回務めさせて頂きます。

第39期鳳凰位HIRO柴田です。暫くの間お付き合いください、宜しくお願いします。

まずは簡単な自己紹介を1976年2月16日生まれ A型 出身は神奈川県川崎市 趣味はお笑い、ゲーム、漫画、YouTube等(麻雀は趣味でなく人生レベルなので・・)
麻雀牌に初めて触れたのは小学3,4年の頃だったと記憶してます。
日本プロ麻雀連盟に入会したのは2000年、僕は当時研修生として研修期間を終えて2001年のC3リーグデビューでした。

麻雀との出会いは先ほどもありましたが小学生の時。当時は友達の家族麻雀に混ぜてもらい、役は「七対子」「国士無双」しか知らない、だけど手摘みで山を17枚乗せるだけ、それだけでなんだか楽しかった。
そして当然の様に1日に1、2回アガれたらよいほうで、毎回の様に友達の父親にぼこぼこに負けていました(笑)。

当時はネットで調べることなどできないので、ゲームや麻雀の本を読んだりしてルールだけではなく点数計算まで勉強しました。
その中でも特に麻雀漫画は僕にとってありがたい存在で、小学生の時に「ぎゅわんぶらあ自己中心派」を読み、中学生では近代麻雀を知り、高校生の頃には読んだことのない麻雀作品は無いくらいといっていいほど読み漁りました。

そんな僕は、高校卒業後に進学→1年で中退(黒歴史なので割愛)、当時麻雀界について無知であった僕は、どうすれば憧れの麻雀店で働けるか調べ、すぐに面接を複数受けてみました。
結果は2件目に面接を受けた店舗にて採用が決まり、期待に胸を膨らませた僕は、初勤務のその日までドキドキしっぱなしで、点数計算のおさらいを一人黙々としていたのを今でも覚えています。

それからというものは、勤務で打つのはもちろん、休みの日も色々な麻雀店を巡り打ち込み、どっぷり麻雀漬けの日々を送っていました。

そして24歳の時、転機が訪れました。
あのピンフツモの点数がすぐ言えなかった若者も成長し自信が付きました。ただ働くだけじゃつまらない、自分の力をもっと試してみたいと、日本プロ麻雀連盟の門を叩くことになったのです。

プロテストの結果は研修合格でした。もちろん研修でも十分、半年後には晴れてC3デビューだ!やってやるぜと。

子供の頃の影響なのか、僕は七対子と国士無双が好きで(いまはホンイツも好き)、とある先輩からのアドバイスで、七対子が上手い人は局の色々な事がわかっているよと言われ、ますます好きになりました。
そしてデビューの年、第1回チャンピオンズリーグ予選でリーチ七対子ドラ2を1日で4回ツモと今思えばバカヅキですが、そんな僕は決勝進出を果たしました。
第1回ということもあり先輩、同期のプロ達がたくさん来てくれましたが結果は惨敗でした。
大切な本場所のリーグ戦も鼻っ柱が強い根拠のない自信だけで、その実何ももっていない僕は苦戦を強いられC3から昇級できない日々が続きます。

何でもキッカケというものは大事ですが、人はそれによって変化し成長します。C3最終節、僕は相変わらず鳴かず飛ばずの位置、年下で同僚である彼は昇級確定。
今思えば負けず嫌いな僕の性格から生まれた相乗効果だろう、彼に負けたくない、そんな想いが僕を大トップに導き昇級することができました。この勝利は成長とは言えませんが自信につながりました。

次のキッカケは紺野さんの存在です。少しだけの期間だが紺野さんと麻雀を毎日の様に打つ事がありました。しかし本当に勝てなかった。何かを得たい、そんな僕は暇さえあれば紺野さんの麻雀を見続けることにしました。
こんなことを直接に言ったこともないし教えてくださいと言ったこともないが、紺野さんの麻雀を僕なりに紐解き、取り入れたことが結果に結びついたと思っています。
そして僕はそのままBリーグまで一気に駆け上がることができました。

だが、まだBで勝つには僕の力量は足りていない、麻雀店でいつも打っている麻雀をリーグ戦でもそのまま実戦している僕は、連盟公式ルールの理解が明らかに足りない、だが答えが何かわからない。
勝ち進んできた僕の周りは先輩だらけ、みんなライバルだしそこは自分で打破しなければと試行錯誤。

そんなとき、ぽっと出の若造の僕に声をかけてくれたのが沢崎さんでした。

「柴田は打点力が足りない」

あまり周囲のプロと会話もしない僕にくれたそれだけのアドバイス、、、、今では本当にありがたい言葉でした。
すぐに実戦で打点ベースの麻雀なんて打てるわけないけど、それまではスピード重視の麻雀だった僕は、ぼんやりと手役打点スピードのバランスを取るよう意識したことでピントが合ってきたのだと思いました。
細かいアドバイスは真似しなきゃ出来ない分、身に付きにくいですが、麻雀の芯の部分のアドバイスは自分で紐解いて考える、すぐに答えを求めない結局は自身の捉え方次第だと。
素晴らしい先輩に囲まれて、成長につながるキッカケを惜しげもなく与えてくれる、そして1人ではたどり着けないとこまで引き上げてくれるのがプロ連盟だと思っています。

そうしてついに僕は憧れのA1リーグまで来ることができたのです。

A1初年度、西暦は2008年、年齢は32歳。同期では2番目のA1リーガー(一番は山田浩之プロ)。
ついにここまで来た、高揚する気持ちもありましたが、ここまで勝ち上がってきた自信もありました。今でも覚えていますが、1年目に意識したのは「自分の麻雀通用しますか?」ということを頭に置いて打つ事。
当時は映像で振り返ることなどできないので、場面で受けたり攻めたりした箇所が、正着かそうでないかは観戦者に聞くしかない。結局、聞くこともできない僕は体感で判断するしかありませんでした。

どちらかといえば、当時は守備に重点を置いていた僕が攻めに転じるとアガることができたのは、まだまだ雀力不足ノーマークだったからと、2年目3年目となった時に肌で感じました。

どんな麻雀を打つのか対戦相手の情報がないこともあり、A1の1年目(優勝前原プロ)そして2年目(優勝瀬戸熊プロ)の鳳凰位決定戦に自分も進出することができました。
今思えばですよ?今思えば、あの時負けて得たものが自身の成長に多大な影響を与えるほどの力をつけさせて貰ったと思っています。
雀力はもちろん、精神的にも未熟な僕があの時勝ってしまったら、今の自分は存在しないし天狗になっていたかもしれません。

それからはA1に名前はあるものの、鳳凰位決定戦とは縁がなく年齢と共に雀力を付けて来たと感じていました。
これは僕の言葉ではないですが「A1リーグにいるだけで力が付く」まさにその通りだと思います。

そして映像の時代となり、自身の麻雀を客観的に見直しできるようになり、今まで少ない情報で少しづつ雀力向上となっていたものが、映像を見直すことで自分の思考やバランスを最高のメンバーで整えられ一気に力が向上してきたと思います。

鳳凰位とは縁がありませんでしが、十段戦、マスターズ、グランプリ、WRC等、10タイトル以上の決勝に残り本命と言われることは多々あったのですが全て惨敗。
リーグ戦は一度降級もありましたが、翌年昇級、名前も柴田弘幸からHIRO柴田へ改名など色々な事を経て、2017年に自身3度目となる鳳凰位決定戦へ進出となりました。

決勝のコツ?そんなものは当時も今も用意していません。わかるわけもなく、ただ全力でやるだけでした。
この鳳凰の部屋を書いているとき僕は第13期グランプリMAXも獲得し2冠となってはいますが、そのコツはいまだぼんやりとした感覚でしかありません。

さて話を戻すと2017年の僕は緊張していました。
時の重みは計り知れないからです。約10年ほど縁が無かった憧れの鳳凰位への挑戦、若いときは無かったのに手の震えが収まりませんでした。
長い4日間、僕は独走する前原プロに必死にしがみつき、最終戦オーラス忘れもしないカン六索、跳満ツモ条件でリーチを打つも山にはなく敗れました。

翌2018年は、吉田直プロとの鳳凰位を賭けた一騎打ち。
過去に見たことにないほど、優勝予想がすべてHIRO柴田に本命が付くというプレッシャーを抱えるも、吉田プロの鳳凰位戴冠となりました。

ざっと僕の経緯を記してみると、本当に負けすぎているなとは思いましたが、皆さんが思っているほど悲観はしてなく、むしろ楽しんでいたと思います。
なので、これを読んだ麻雀プロのかたは、遠い道のりだと思わなくて大丈夫です(笑)

いまは映像の時代なのでそこでヒントを得たり、先輩方のアドバイスを実戦できずとも覚えておくことで必ず後に生きてきます。
そこを自分なりに解釈し紐解いた人が勝つ時代だと思っているので、柔軟な若い人ほどチャンスだと思います。
あ!でも次に無冠の帝王と呼ばれる人にも会ってみたい気もします!!

次回 鳳凰の部屋 ~準備~