鳳凰の部屋

鳳凰の部屋/『戦いの背景』

瀬戸熊直樹さんからこの部屋を引き継ぎました。
1年間のおつき合い、どうかよろしく御願い致します。
さて、記憶の残っている鳳凰戦から話は入ります。
まず、決定戦に残れたのは幸運でした。その前年は陥落の危機で▲180Pオーバー。
この時(さすがにダメか…)と、思ったのは確かです。しかし9節目に4連勝を果たし、難を逃れました。
思えばあの時、陥落していたら今の自分はなかったのです。
ボクは近頃、プロリーグに臨むとき落ちたら最後の気持ちです。
55歳を超えてから、A2では打たない。いや、打ってはならない立場であるのでは…と思っていました。
小島・灘の両巨頭も、森山茂和さんも陥落と同時にプロリーグを去っています。
それがプロとしての「誇り」なのかもしれません。
しかし、60歳を超え陥落してもカムバックを目指して頑張っている人がいます。伊藤優孝さんや古川孝次さんです。
その、麻雀と共に生きる姿勢もまた、立派であると思います。
なので、2年前の陥落危機の際、森山さんに聞いたのです。すると答えは「打たない方が、いいんじゃないか…」でした。
言葉は柔らかかったが(打つべきではない!)と云う風にも聞こえました。
(そうか…落ちたら最後か…)
この時ボクは(落ちたら去ろう…)と心を決めたのである。
ボクの背中を目標に、瀬戸熊さんや後輩たちが追い求めていることは知っていました。
ボクがかつて小島さんや灘さんの背中を追い求めた時のようにです。
しかし、その目標が無くなったときの寂しさとむなしさは、今でも昨日のことのように記憶に残っています。
目標が無くなると人は弱くなります。ゴールのないマラソンレースをしているようなものです。
ゴールが見えるからこそ踏ん張れるし、勝った時の達成感があるのです。
しかし、抜かれることはあっても、抜くことがないのはむなしいものです。
今度は追われる番だ、だから力尽きるまでA1で頑張る…これがボクの戦いの背景です。

今年から鳳凰決定戦は、18回戦から20回戦となりました。
ニコ生でも配信されることになりました。1日5回戦を4日戦います。

ニコ生では10万を超えるアクセスがあり、時代が変わりました。
今こそ麻雀が陽の目を見る、チャンスが到来したのです。
そのため、打ち手は視聴者に「見てよかった!」という感動を与える必要があります。
昔からプロの世界には2つの論争がありました。
1つは魅せて打ってこそプロである。もう1つは勝ってこそプロである。
前者は小島武夫であり、後者は灘麻太郎です。
この2つの論は結論の出ないまま、ずっと平行線を辿りました。お互いにわが道をゆく、です。
小島さんは華麗な手作りと牌捌きでファンを魅了し、灘さんは勝つことで実績を残したのです。
魅せて打つと瞬間、そこに隙ができ勝率が下がります。また逆に、勝ちにこだわっても魅せられる部分もある、という見解も一方であります。
御存じのように小島武夫の華麗さを受け継いでいるのは、森山茂和です。
ボクの打ち方は、原本は灘麻太郎からとなります。
当然ながら、後輩は一番身近な先輩の打ち筋をまねて育ちます。だから似てくるのは当然です。
森山さんは華麗で味わい深い手作りを引き継ぎました。
ボクは勝負の辛さと、読みの鋭さを習得しました。
それぞれ、そこに自分の技を織り込み工夫して今の自分の型を作り上げたのです。
「モンド名人戦」のDVDを観戦している時、見て愕然としました。
自分の麻雀には切れがあっても華がないのです。
勝って実績も残したつもりが、つまらない麻雀に見えたのです。逆に華があったのは森山さんの麻雀の方でした。
ボクが冴えなかった理由は2つあります。
1つは食い仕掛けが多いこと。これは森山さんに指摘されたことでもあります。
打点の高い勝負手なら問題がないのですが、いなし手では親にリーチで押されたとき仕掛け倒れになってしまうからです。
さらにもう一軒がリーチと来たら、ベタオリとなる。これでは、見てもつまらない勝負となります。
もう1つはトップ目の時です。
ボクには先行した点棒の利で、逃げ切りを図ることがよくあります。
これはこれで1つの戦いの方法論ですが、見た目がせこく感じました。
先行の利は、態勢の利でもあります。だから逃げようとせず、さらに強く押し得点の積み重ねで相手を粉砕する。
この方が勝負の神髄に近く美しい、と感じてきたのです。これが迫力のある、いわば森山流です。
なので、この4年間は仕掛けを控え、トップ目でも逃げない構えを取って来たのでした。
しかし脚質転換というか雀風の切り替えは、まだ完成途上にあります。

「鳳凰」戦はボクたちにとっては、目指すタイトルの一番星です。
その決定戦という桧舞台でどういう感動を与えればいいのか、また感動とは何か。随分、考えました。
出した結論は、前にロンロンのブログでも書きましたが、新しい自分を見せることと、これまで培った技を局面に随所に打ち出し見せること、でした。

もちろん、感動を生むことは1人でできることではありません。そこで弟分の瀬戸熊直樹に言いました。
「いい勝負、見せないとナ…」
すると瀬戸熊からは、凛とした言葉が返ってきました。
「分っています――」
弟分…いや、失礼な表現かもしれないが、ボクは彼を長い間、実はずっと年下の弟のように思っていたのです。
もちろんそのことは、彼のあずかり知らぬことでその理由は後で述べます。

瀬戸熊は九州の出で、高校は熊本県立・熊本高等学校でした。
その後、東京経済大学に入り卒業後、会社に勤めサラリーマンとなったのです。
この時、プロテストに合格。彼は父に「麻雀のプロになりたい…」と相談しました。

「石の上にも3年、という言葉がある。3年間、勤め上げろ…」と、返ってきた父の言葉が、これだったのです。
父君とすれば危険ないばらの道を進むより、手堅い道を歩んで欲しかったに違いありません。
しかし、たった一度の人生だ。倅の夢も叶えてあげたい、と思ったことでしょう。
そして3年後、瀬戸熊はA2に昇り詰めます。
ここで彼は父との約束を果たし、会社を辞め退路を断ったのでした。
この覚悟を噂で聞いたとき、ボクは初めて彼に注目したのです。