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第82回『勝ち負けの向こう側』

2013/10/16
執筆:前原 雄大


__麻雀は一見、目の前の相手3人と戦っているように思えるが、そうではなくて自分自身との闘いである。
かなり若い頃、おそらくは麻雀プロになる前からそんな思いが私にはあった。
全ての結果は自己責任であるとも考えていた。
それに加え、いつの頃からかは判然としないが、プロであるならば視聴者との戦いを意識すべきだと考えるようになった。それは結果も大切だが、内容であり、プロセスである。

今更ながらと自分でも思うのだが、つい最近、あるテレビ番組のプロデューサーの方に取材を受けた折り、
「視聴率を求められながらも、自分の創りたいモノとのせめぎ合いに常に悩まされる日々の繰り返しなんです」
と聞き、視聴率とは結果であり、勝ち負けであり、創りたいモノとはその方の信ずるべき内容であり、プロセスであり、価値観だと解釈した。

私はその世界に疎いので、黙って聞かれたことに答えただけだったが、1時間の番組を作るのに2年の時間を費やしたことを聞いたとき、大変な世界なのだと思ったが、それがその方の仕事に対する向かい方なのだろう。
ほんの1時間程度の取材かと考えていた私が甘かったのか、3時間に及ぶ取材の帰り際、また、2、3度取材させてほしいとの言葉を聞いた時は、その情熱とエネルギーに少し驚かされたとともに、仕事に対してそうあるべきなのかとも考え込まされた。
要は、私が仕事に対して、いかにいい加減な男であるかというだけの事かも知れない。

牌譜をご覧いただきたい。

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結果は、魚谷侑未の残り2回{他家の仕掛けが無ければ、一発とハイテイ}に賭けたリーチで、見事なまでの一発ツモアガリの優勝で幕を閉じた。

二筒三筒四筒五筒六筒六筒七筒七筒八筒九筒九筒九筒中  リーチ  一発ツモ中  ドラ九索

簡単に条件を記すと、滝沢和典以外、全員が跳満ツモアガリ条件である。
私は11巡目にテンパイ。

六万六万七万八万九万三索四索五索七索八索九索七筒九筒

正しい判断かは解らないが、私はヤミテンに構えツモ八筒の場合アガらずの打九索のフリテンリーチを考えていた。
もし、カン八筒のリーチを打ち、ツモアガリして裏ドラが乗らなかったらシャレにもならないだろうし、見ている方々にどう映るかということである。

ただ、この私の考え方も私の価値観に過ぎない。
実況放送では、ここでリーチを打ち、裏ドラに期待するのも止む無しとの見解。
もしくは、私へのフォローの言葉も流れていた。

大体において、前局、かなり有利な立場にありながら、最低3つのアガリ逃しをして唯一アガれない手順を踏んだ私が、最後だけ辻褄をあわせようとしても上手く行くはずもないだろうし、それほどいい加減に麻雀は出来てはいない。

全対局終了後、私のリーチ宣言牌である二筒を見ながら滝沢が、自分の手牌から一筒三筒の部分だけ私に見せた。
私は軽く微笑んだ。
会話は何も無かったように記憶している。
二筒は仕掛けられたのですけどね・・・・}
{あなたらしいね}
私と滝沢の心の会話は、こう成立していたように思えた。

ところが放映後、出会う人達から何故滝沢はあの局面で二筒を動かなかったのか尋ねられることが頻繁にあった。
私は私なりの答えを語った。
「仕掛けて魚谷に中をツモられた方がヒドく映るだろうと思う。」
「何より大切なのは滝沢の信念の決断だから」
簡単に記せばそんなことを告げた。

訊いた相手は皆、得心がいかないような顔をしていた。
反応の鈍さに本人を含め、身近に訊いたほうが間違いないだろうと思い尋ねた。
まずは当事者である滝沢に尋ねたら、御叮嚀にメールで返事をくれた。

「似たような場面で、今までは、鳴いたり鳴かなかったりしていたのですが、今後は仕掛けない方向でいきます。
ただ、理由に科学的な根拠はないので、強く主張したくはないです。絶対仕掛けるという方が普通の考え方だと思うし、また、説得力もあるとは思います。これは、知人に指摘されたことですが、
【仮に直線的に手を組んでいたら、違った形で局面が動いた可能性もある。配牌オリを見せたことが敗因かも】
ということです。自ら局面をねじ曲げることは、それまで打ってきた型を否定することと同じだ、と。
1局単位でとらえれば、配牌オリがセオリーですが、元々すべてをセオリー?通りに打っているわけではないので、自分的には納得の指摘です。
後悔のない選択を繰り返せば、結果に関わらず納得感はあります。また、精神的にブレることもありません。
ただ、自分が満足する麻雀を確立させた時点で、進化がストップするのではないかという感もあります。

【やるべきことをやって結果待ち】というのは、自身の麻雀が完成された人なら良いでしょうが、私はまだ自分の麻雀が完成しているとは思っていないし、麻雀界のタイトル戦は決して長くはない評価方式で行われる事が多いです。だから
「長い目で見たら」という手段は取りたくありません。

例えば命がかかっているとき…とか極端な例でシミュレーションすると意味がわからなくなります。実際仕掛けるかもしれないし、同じように覚悟を決めて、結果を天に任せるかもしれません。実際その場に立たせてみないと、わかるわけないものでしょう。斬られたら終わり、という場面は麻雀にもあると思います。仮に麻雀に正解があるとしたら、すべての局面で同じような思考方で正解を出すべき、ということになります。
明確な答えを持っていないのはプロとしては間違っているかもしれませんが、万人受けする答えが平面的なものならば、それはなくても良いのではないかなとも思っています。」

これが滝沢の答えである。

私は滝沢から送られた文面を読んだ後に、自分の軽率さと滝沢に対して申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
尋ねる相手を間違えた__。
今局に限らず、微妙な局面で結果が悪く出た場合、滝沢が自分の判断、決断に対して肯定的、もしくは正当化する発言を耳にした記憶がないのである。

ヒサトにも訊いてみた。
「滝沢にすれば、既に人事を尽くして天命を待つ、の心境だったのではないでしょうか。故に、これ以上じたばたして、幕の下ろし方を汚したくなかったように思います。あの後、異論、反論色々と耳にしましたが、私も滝沢の決断には肯定的です。」
「んで、ヒサトならどうしたかな?」
「しかし、実際に自分が座っていたらどういう決断を下したかはわかりません。あの場面で負けたら、どうせ後悔するのは目に見えています。仕掛けた可能性も否定はできません。」

やはりヒサトにも色々な意見を求める声が多かったようである。
ちなみにヒサトもメールでもらった。
やはり、あの方の声も訊いておこう、ということで瀬戸熊鳳凰にもお願いした。

「あの前原さんのリーチ宣言牌二筒を動くかどうかについてなのだが、局面を整理させて頂くと、滝沢以外、全員が跳満ツモ条件。まずは、南家・魚谷からリーチ。条件も含めて手牌を推測すると、捨て牌からピンズの一色が濃厚である場面(一発か裏1が必要かもしれないが、満貫ベースは当然ある)。ただし、北家・前原さんからもリーチが入った時点で、リーチ棒が出た為、魚谷の条件は満貫ツモに変化をしている。しかもチーをすると、近藤さんにハイテイが回ることで、リーチがかかった場合、一発とハイテイという二度のチャンスを与えてしまう。
魚谷の1人リーチなら、鳴くか鳴かないかは、その場にいないと僕自身どうしたかわからないが(多分8割はステイして鳴かない)、前原さんのリーチで、魚谷の条件が満貫ツモに変化した以上、一発や裏条件が消えたことは明らかなので、滝沢が鳴かないのはスタイル的にも、状況的にも必然と思える。当然僕も鳴かない。
鳴いてツモをずらしたとしても、もう1枚中は生きており、魚谷がツモるかもしれないし、または近藤さんにアガリが生まれていたかもしれない(実際七対子のテンパイで裏裏だった)。
このオーラスは、アガった魚谷を誉める局面であり、滝沢は全く後悔してないように思う。」

瀬戸熊鳳凰は御叮嚀に一度ならず二度に渡り書き直して送ってくれた。
それだけデリケートな局面であり、難解な決断を求められる局面だった証しであり、瀬戸熊鳳凰にしても言葉を選ぶべき局だったのだろう。

結果がすでに出ているので記し辛い部分はあるが、あの局面、滝沢が仕掛けず、次の滝沢のツモが中であれば、スーパープレイと評するのが世間の評価だと私は思う。仕掛けて結果が悪く出た場合、評価はどう出るのだろうか。少なくとも、私は魚谷がツモアガった中という評価はしない。滝沢がツモらせた中と評価する。

正しい答えはないけれど、間違った答えはあるというのが麻雀における私の考え方である。
そこから考えて行くと、滝沢の導き出した答えは、少なくとも間違った答えではないと思える。
そして、滝沢の背景にある麻雀に立ち向かう情熱、エネルギー、そして、品性を誇りに思う。