上級

上級/第113回『ガラリーの全てパート4』 前原雄大

局面が打たせたガラリー
「意味の麻雀は存在の麻雀には勝てない__」
私が20代前半の頃だった。
先輩に言われたのだが、何を言っているのか分からなかった。
ただ、その言葉だけが、ぼんやりと私の脳裏に残った。
 

 
佐々木寿人さんの地和の映像である。
「麻雀プロならば、引きツモはいかがなことかと思う」
そんなコメントも流れたようであるが、私からすればその通りなのかも知れないが、些末なことのように思える。
正直に記せば臨場感があって、良いくらいに捉えている。
私が感心したのは、真っ直ぐに13枚の牌が理牌されて美しかったことである。
そんなことより麻雀を知らない長女から、電話があり
「寿人さんて凄いんだね!ヤフーニュースに載ってたよ」
「そうか、大した男ではないのだが、、、」
そう応えておいた。
実際は本人も喜んだだろうが、主催されている側もうれしいことに違い無いだろう。
翌日、奥様である、手塚紗掬さんにお会いした折り
「あれはひさちゃんの力ではなく、私のおかげです!」
そう言い切っていたが、善き夫婦の証しである。
 
そんな佐々木寿人さんのサイン会が催された。そのコーナーの1つに何切る問題があった。
四万四万四万六万五索六索七索八索九索四筒五筒六筒六筒八筒  ドラ七筒
一発裏ドラありである。
何切る問題に正解は無いものと考えている。
黒木真生さんが答える。
「ボクは打九索とします」
筋が良い選択である。
続いて主役である佐々木寿人さんの答えは
「打六筒
これも良い選択だが、佐々木さんには似合っていないように思われた。
同じ答えではつまらないので、私は「打六万」と答えた。我ながら筋悪だナと思った。
「打八筒以外は何を打っても良いように考えます」
そう答えたが、改めて考えると、やはり、打九索の方が優っているように思える。
何を切っても良いのだが、後々の変化を考えればやはり打九索が柔らかいように思える。
八筒も否定したが、ツモ五万がある以上、打六万よりはマシに思えた。
公衆の面前で雀力の無さを露呈した一日ではあった。
 
 
第8回モンド名人戦 決勝初戦南2局2本場

 
放映時、会う人ごとに尋ねられた譜であるが、縦よりも横を意識して打っただけと答えた記憶がある。
藤崎智さん、高宮まりさん、魚谷侑未さんの別バージョンの解説で、藤崎さんが言っていたが、「感性」なのでしょうね。
藤崎さんは持ち上げてくださったが、感性などという特別なモノではない。
一万二万二万四万八万九万三索七索九索一筒二筒四筒六筒  ドラ二万
この配牌に第一ツモが要の1つである、三筒である。3巡目にツモ五索で、打九万は自然である。他に外すべき牌が見当たらないからである。
次巡、あざ笑うかのようなツモ七万で、打四万。6巡目でツモ五筒で、打一筒。他家に速さは感じなかった。
実はこの速さの部分が大切なことで、相手に速さを感じれば打牌は変わる。
8巡目にツモ五索をツモ切りにしているが、これも横の伸びを意識しているからに他ならない。
二万二万七万八万三索五索七索二筒三筒四筒五筒六筒七筒  ツモ切り五索
難しかったのは11巡目のドラである、ツモ二万である。
私はこういう局面では微差ではあるが、持ち点の少ない打ち手が河に放っている牌をマチに選ぶことが多い。
この場合は新津潔さんが六索を放っていた。この時は見事に失敗で、すぐさまツモ四索である。ここを踏みこたえ、フリテンに構えるとツモ三索
最後の待ち取りに関しても同様で、七万八万単騎もないわけではないが、横の伸びを意識したことと、六万の所在は分からなかったが、九万には思い込みかもしれないが、確信はあった。
七万八万単騎を選択する打ち手を否定するものではない。ただ、サイン会の佐々木さんがそうであったように、チームがらくたはそれほどフリテンを意識しない。
麻雀を出アガリベースに捉えているのではなく、ツモアガリベースで捉えているからである。
今局は典型的横形の譜であっただけの事である。
このアガリでトップ目で迎えたオーラス。トップ目であるということは、とりもなおさず好調の証しであることは間違いのない所である。好調時の私の鉄則としては動かず、を意識する。
 
南4局

 
所謂クズ手に近いなと対局時には思っていた。1巡目に一索が枯れたことも戦意を失せさせた。
それでも6巡目にツモ三索九索としているのは、タテを意識してのものである。
ところが次巡ツモ八索で打三索としている。この一打は今思い返しても間違いだったと思う。
一索が2枚飛んでいる以上、タテを意識しているからには、少なくとも打一索とすべき処だろう。
最も良くないのは打牌に意志が無いことである。
一般の方なら未だしも、麻雀プロを名乗っているのである。七索八索は打ち過ぎかもしれないが、打三索よりは明確な意思を感じさせる。
その構え方を咎めるかのように次巡のツモは三索。そして、ツモ七筒七筒が暗刻になり、次巡ドラであるツモ四筒である。
一索とさえしておけば、図の手牌になっている。
三索三索三索七索八索四筒四筒七筒七筒七筒西西西
この局面であれば、ここでリーチを打つのもフリテンながら、私に似つかわしい様にも思える。
事実は奇なり、という言葉があるが、次巡にはまたもやドラであるツモ四筒で四暗刻である。マチ牌は後引きの八索だろう。
実戦譜に移る。
三索四索七索八索四筒四筒四筒七筒七筒七筒西西西
_まだ戦える!私はそう考えていた。そう考えていた矢先に上家から打ち出された五索に手が止まってしまった。止まった以上仕掛けた。
要は覚悟が足りなかっただけのことである。
私が仕掛けると同巡に、下家の森山茂和さんのリーチの声が入る。
結果は正直に出るのが麻雀である。森山茂和さんの跳満ツモアガリで収束を見た。
私はこの年、名人戦を勝ち損ねている。正確に記すならば自ら手放している。
充分なツキと運に恵まれながらも惨敗であった。
この対局の後、色紙にサインを求められると記した言葉は何時も同じだった。
__麻雀は己の弱さと向き合うゲームである。
私は麻雀プロの証しは存在だと改めて考えるようになった。
存在とは、一打に込める意志があってこそ成り立つものだと考える。
間違った解釈かもしれないが、今はそのように考える日々である。