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第114回『強さとは__~ガラリーの原点~』 前原雄大

2016/10/19
執筆:前原 雄大


以前にも記したことであるが、私は、何がなんでも麻雀プロを志したわけではない。
今でも、よく覚えているのだが、1981年1月31日のスポーツ紙に
「日本プロ麻雀連盟3月6日に発足」
その記事を読み1ファンとして、楽しみだな、そんな感情を抱いたくらいである。

熱心なファンではあったが、自分がプロになることなど露とも考えていなかった。誘って下さる方は数人いたが、全てお断りさせていただいた。
一つには己の雀力を知っていたこと、大きな理由は既に結婚しており、生活を一番に考えたからである。
それでも、その年の9月には入会した。その日、朝7時に電話が鳴った。

「研修生という制度が出来たから、とりあえず入会してみたら、、、嫌だったら辞めれば良いのだから」{今は連盟にそういう制度はない}
当時近しかった連盟の方にそう告げられた。
「考えてみます」
「まあ、そう言わずに、今日おいでよ。時間は11時までにね」
そして、そのまま連盟員になった。

今では考えられないことだが、そういう、全てにおいて緩やかで、ある意味良き時代だったのだろう。
教育担当は現会長である、森山茂和さんだった。厳しくそして優しい時間であった。その時間は3年程続いた。
簡単に記せば、今と違いプロテストが存在せず、約3年前後、プロではなく、研修生だったわけである。私には全く不満は無かった。

前述したように自分の力も知っていたし、何がなんでもプロになりたかったわけでもなかったからである。
教えてもらうことが楽しみで仕方なかっただけである。
自分から質問したこともなかったように思う。
伊藤優孝さんあたりからは、全くしゃべらないヤツだナと最近になって言われたが、自分では良く解らない。
己が思っている自分と他人が思っている自分自身は大抵違うものである。
概ね評価の方が的を得ている。

「どうしたら強くなれるのですか?」
「そういう質問は自分自身で考えなさい!」

確かにその通りで、その問いをすることそのものがプロもしくはプロを目指す者としては資質がないように私でさえ思った。
山のように麻雀を打ち、海のように深く広く麻雀を考えれば良いだけのことである。
そのことを続けて行けば、おのずと麻雀の輪郭は見えてくるものだと考えていた。それは、今も同じである。

ある時1人の研修生が尋ねた。
「強さとはなんですか?」
良い問いだと思った。
「強さのカタチはひとつではないけれど、例えばドラの白をポンされている局面でペン三筒でリーチを打って引きアガる。これはひとつの強さだとボクはそう思う」
森山茂和さんはそう答えた。

その言葉に導かれるように数年間愚形リーチを打ち続けた。上手くいくこともあれば手痛い目に合うことも勿論あった。続けて行くことで見えてくるモノがある。場況も大事だが、それよりも重く捉えたのが、タイミング、態勢、ゾーンに入っているか否かである。態勢や、ゾーンに入っている時は誰でもリーチは打てる。そうではなくて、形勢が悪くてもタイミング良ければ打たねばならない時もある。逆にタイミングが悪ければ打ってはならないリーチもあるのである。

タイミングも色々あるのだが、例えば山越しのテンパイが入った時である。

東1局 7巡目 西家

一万一万二万三万四万六万七万八万六索七索二筒三筒四筒  ドラ七万

他家に前巡五索を打たれ、図のテンパイになったとする。私はほとんどの場合ヤミテンに構える。何故前巡に五索を打たれたかを重く見るのである。
麻雀には絶対は無い。ただ、7対3で分が悪いと感じたならば、7を選び続けるのがプロの証しだと考える。

山越しでも悪いという明確な論拠はない。体感的なものに過ぎないし、経験的なものに過ぎない。
今では、若い人の間でも受け入れられるようになったが、“アガリ逃がしがあったから受けに入った”等という言葉が使われる。
好調時ならまだしも、態勢が固まっていない時などはそうした方が良いと私も思う。

これにしても山越しと同じで明確な論拠は存在しない。数字的な確率だけで麻雀を打っても、それは単なる絵合わせに過ぎないと私は考える。勿論数字は基本である。基本を知らずして、感覚や思い込みだけで麻雀を打つことは、勝負という観点からすればこれほど危うげなものはない。

極端に言えば、配牌テンパイで単純リャンメンでダブリーを打ったとする。そして、流局したとする。一般の方は何故アガれないのだと心の中で嘆く人もいるだろう。良く考えてみて欲しい。

大雑把な確率からすれば、その時点で山に残されているアガリ牌は4.2枚ほどなのである。
ツモアガっても不思議はないし、アガれなくとも不思議はないのである。これが数字的なものの考え方である。

では肝心なものとは何か。先を読む力である。
先日の勉強会のことである。親が感触の良いアガリを2つほど重ねた次の局。ドラは白だった。
南家が第一打表示牌である中。西家も打中、北家も同じく打中

ここで、皆の手を止め私は言った。
「皆、そんな安全牌切っていて大丈夫なんですか?親の受け牌は残してあるの?」
勿論、お互いの手牌は見えない。
南家に関しては極端な話、1シャンテンの配牌が入っているかもしれないので、何とも言い切ることはできない。
仮にそうだとすれば、尚更、西家、北家の打中は打ってはイケない牌なのである。

予想通り3巡目に親番から、リーチが入った。皆、手番の度に手が止まり安全牌をひねり出す。無筋を切り出し始めた南家の放銃で終わった。後筋での放銃だった。そして、また、親の連荘が始まった。

お断りしておくが、4者共に手順はしっかり打てる。手順がしっかりしている分だけ第一打牌に中を選んだのだろう。
だが、考え方としては少なくとも正しいとは言い難い。
3巡目のリーチだから、仕方がないという見方は甘いように考える。速い巡目で親からリーチが入る事を前提に、今局は構える局面であるというのが私の見立てである。
自分の置かれている状況を踏まえて、先を読んで打たねばならない。これが技術の一部であることは間違いないと私は考える。

麻雀は高速道路を如何に速く走れるか、そういうゲームではない。沢山の見えない障害物レースを、如何に速く走り抜けられるかということに近い。
この時の親番はいかなる牌姿であってもリーチを打つべきタイミングであり、親番のゾーンに入っているのである。誰も立ち向かえない状況に在るのだから、怖いものは何もない。このことは感性の部分ではなく、理の部分である。

先日、プロリーグで沢崎誠さんと対戦した折り、流石だなと対局中思わされた局面があった。
あまり、話題にも上がらなかったようだから、ここに記す。

私がゾーンに入りかけた親番での事。ドラは東である。私は序盤にこの牌姿。

四万五万二索四索五索六索九索九索二筒三筒四筒五筒六筒東  ドラ東

手順で打二索。その途端、下家の沢崎さんがその二索を仕掛ける。チーの発声とともに仕掛けたのはカンチャンでの仕掛けである。

二索 左向き一索 上向き三索 上向きの形が卓上にさらされた。

遠い仕掛けに感じられたが、私はテンパイが入ればドラの東は切り飛ばす気持ちでいた。さらに言うならば、恐らく東は沢崎さんの手にあっても1枚だと考えていた。2枚以上あればここからは仕掛けてこないと読んでいたからである。勿論、持ち点の関係もある。

そして、沢崎さんの仕掛けですぐ喰い流されたのは、私の要である、一筒そして、六万である。

四万五万四索五索六索九索九索一筒二筒三筒四筒五筒六筒  リーチ  ツモ六万

この4,000オールを交わされたのである。
私に良い手牌が入ることを予測するのは理の部分である。精密な降水確率のようなものである。
では、私が沢崎さんの立場に立った時、この仕掛けが出来るかと問われればできないと答える。
私からすればこの仕掛けは感性の部分と解しているが、これもまた、沢崎さんにしてみれば理の分野に属するのかもしれない。

私はその後、致命的なミスを犯す。中盤に差し掛かった時、沢崎さんの手牌がかなり重い進行であったことは確信していた。
雀頭がドラである東に振り替わり、

四万五万四索五索六索一筒二筒三筒四筒五筒六筒東東

この形から呑気にリーチを打ってしまった。
ゾーンに入りきっていればこのリーチもありで、ツモアガリもあっただろうが、その段階ではゾーンに入りかけの時だったのである。
リーチを打った瞬間、しまったと思ったがもう遅い。

リーチ後すぐ沢崎さんは六万を掴んでいる。少考の末オリを選択している。
ヤミテンに構えていても、やはり沢崎さんは六万を打ち出さなかったようにも考える。

「あんな六万打つわけないでしょ!!」

そんな答えが返ってくる気がする。
いずれにしても、喰い流された以上、キチンと本手を打つべき局面であることはまごうことなき事実である。

プロリーグ等で意識しているのは1回戦に高打点であれ、低打点であれとにかくリーチを打ちたい。
アガれたらその後もそのまま押し切れば良いし、流局でも良い、放銃であっても構わない。
要は1つの結果からその後の麻雀の組み立て方が一番大切だと考えている。

そのほかにも、A1であれば3節が終わった辺りから最終節までに250ポイントを目安にしていると近しい人には話していた。
最終節は叩き合いになることを予想して、250あれば叩き合いに加わらなくて済むからである。

このことは昨期トータル2位で最終節に入り、結局は決定戦に残れなかったことが経験になった。
キチンとしたシミュレーションを考え尽くしていなかっただけのことである。
相手のことを知ることは大切である。正確に記すならば、相手の思考、目指すところを知ることが大切なのである。
そして、相手の持っているそれぞれの運のカタチは知っておかねばならないところである。

その為にはA1、A2リーグは後で観るのではなく、ライブで観ることをお奨めする。
後で観てもツイッターなどで結果が分かっているからである。そして、その日、翌日でも良いが、俯瞰の目でもう一度観る。
自分ならここでこの牌は打たないだろう。では何故この打ち手はこの牌を選んだのだろう。そういうことを考えていけば確実に雀力は上がってゆく。
ただし、これが出来るのは私のような暇人だからできることなのかもしれない。もしくは、若いプロもしくはプロを目指す者の特権だろう。

若い頃と言えば、先日荒正義さんとの会話である。

「瀬戸君は偉いですね、今でも走り込んでいるし、一昨年パリでも走っていたから」
私も一緒に走りたいのだが、、パリでそう言ったら、瀬戸熊直樹さんに断られた。
「僕は走るのが速いので、、、、」
申し訳なさそうに言われたことがある。
「前ちゃんだって40代までは走り込んでいたじゃない」
荒さんにそう言われ、いつもの散歩に加え300メートルほど全力で走ってみた。
急に吐気が襲って来た。
__もう若くはないんだな。
少し悲しかった。

それでも歩くという行為は脳に刺激を与え、身体の為だけではなく、我々のような仕事に携わる者には良いそうである。
「俺らはもう若くないんだから、無理せず健康を大事にしないと麻雀も打てないからね」
全くその通りである。

相変わらずホットヨガは続けているが、「鳩のポーズ」なるものがあり、右側は大丈夫だったのだが、左側でやった時、腹斜筋が攣った。
あわてたのは私ではなくトレーナーの方である。
「大丈夫ですか?!!」
「こんなところでも攣るつるものなのですね」
「人体は結構複雑で左右同じようにはできておりませんから」

__話は逸れたが、要は若い時にだからこそ、できることがたくさんあるということである。
先日畑正憲さんとお逢いしたとき、切なげにおっしゃっていた。
「最近3日も徹夜で仕事すると疲れるのですよ。前原さんが羨ましい」
私は返す言葉が見つからなかった。

いずれにしても、若い時に誰に学ぶか、誰に導いてもらうか。このことは大切なことに間違いないことである。これもその人のツキであり、運である。そして、学ぶ側に知的向上心があるか、素直に言葉を受け止める姿勢があるか。このことは肝心なことである。

自分自身が強いと思ったら、その瞬間に成長は止まる。少なくとも私は今まで、自分が強いと思ったことは無いしこれからも思うことは無いだろう。

ただ、強くなりたい!

そう思う気持ちはこれからも、変わることは無いように思う。
強さのカタチは年齢を重ねると共に変容して行くことだろうが___。