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第115回『~考えるべきものは~』 前原雄大

2016/11/22
執筆:前原 雄大


東1局西家5巡目

三万四万六万七万二索三索四索六索七索八索八筒八筒八筒  ツモ五万  ドラ八筒

絶好の五万をツモりテンパイである。
ただ、問題は親から5巡目にリーチが入っていることである。

捨牌は、
東西一万 上向き四筒 上向き九筒 上向き

西以外は全て手出しである。
絶好のツモ五万と記したが、実際は既に親からリーチが入っている以上、マチの選択をしなければならない為、絶好かどうかは微妙である。
殊に最終手出しの九筒をどう考えるか。私は気息を整え打八筒として追いかけリーチを打つ。
このことが正しいかどうかは解らない。ただ、私はそうするというだけの事である。

大切なことは気息を整えるということにあると思っている。ひとつは放銃する覚悟と、もうひとつは次局の戦い方である。このことは若い頃から変わっていないように思う。

プロリーグであれ、稽古であれ、ルールが何であれ同じである。

二万二万四万五万六万一筒二筒三筒四筒五筒六筒七筒九筒

こんな放銃もしたこともある。

 
リーチ後六万を掴み

一万二万三万四万五万七万八万九万二索二索五筒六筒七筒

こういう放銃もしたことがある。
おそらくではあるが、親のリーチ宣言牌が九筒である以上、八筒だけは打たない方が多いように思われる。それも正しいと思う。
正しいという言葉そのものが色々あって良いのではないかとも考える。
上手く行ったケースも沢山ある。

一万二万三万五万六万七万八万九万二索三索四索七筒七筒

一万二万三万四万五万七万八万九万二索三索四索九筒九筒

他にも様々な事があった。
実際は、図の牌姿から何を打つかではなく、大切なことは次局に何をすべきか考えることにあると思う。

「リーチを打った時に何を考えているの?」

佐々木寿人さんに尋ねてみた。
「腹が減っている時は麻雀が終わったら何を食べようか考えています!」
尋ねる相手を間違えたようである。
「原稿に書いて良いかな」
「モチロンです」
勉強会の折り若手数人に尋ねてみた。
「ツモれ!」
そう考えている人が多かった。
「麻雀を打っている時は考えることが多いので、リーチを打ったあとは脳を休ませる為に何も考えません」
訊いてみないと解らないものだなと感じた。

実戦では私はあまり考えていない。一番考えているのはリーチを打った時である。
ツモアガリのケース、出アガリ、何処から出アガるか、放銃、相手のツモアガリ、流局等色々あるが、それらの起こった後の事、次局以降の戦い方を考える大切な時間である。
恐らく一番頭を使っていると思う。
「そういえば、前原さんて、放銃した後ゴチャゴチャやって何となく原点復帰しますよね」
棒が呟く。
「ゴチャゴチャって、他に表現の仕方があるでしょう」
話が逸れた。

冒頭の図から放銃になった場合、一番困るのは役無しドラ3のような配牌が来たときである。
昔ならば、第一打からドラを打ち出した。今は嫌々テンパイに向かうが、本当は配牌からオリたいのが本音である。

昔から言われた言葉であるが、
「通れば勝負牌、放銃すれば暴牌」

少なくとも八筒で当たれば大ダメージを負うわけである。
表現はおかしいかもしれないが、骨折して相手と五分に戦うには無理がある。
まずやるべきことは傷を癒す時間である。少なくとも親には向かわない。膝を抱えてじっとしているのが一番である。

ところが、何も考えず配牌を取ると手牌が良かったりすれば前に向かいたくなる。
そして、またもや親とぶつかったりすれば致命傷になりかねない。その日一日をたった東1局でダメにしてしまうことになる。

勿論、麻雀に絶対は無い。逆に勝負牌となった場合、二万五万八万を引きアガれば徹底的に攻め込む。
出アガリの場合は放銃者は無視する。上手く南家でアガリを拾えれば、親番は先行リーチ者がいても自分の手に忠実に打って行くだけである。
これは簡単なことである。

先日のプロリーグで最も後悔したのは図である。
4回戦 南3局 南家

三万三万五万四索四索六索六索七索七索八索八索六筒七筒  ドラ五筒

この牌姿から上家から出た四万を動かなかったことである。
インタビューでもコメントした通り、3回戦に自分で悪くしてしまい、4回戦はラスを覚悟していた。
ただ、ラスを引くにしても引き方がある。仕舞い方という言葉に置き換えても良い。
ここでワンチャンスではあるが、四万を仕掛けていれば五筒八筒はアガれていた。逆に仕掛けを入れなかったために、古川、藤崎にテンパイを入れさせてしまい、挙句の果てに放銃を招いた。

九万九万一索一索九索九索一筒東東西西発発

藤崎へのホンロウ七対子への放銃である。これは、今局に入る前の覚悟なり、状況判断をきちんと決めていなかったミスである。
ここを凌いでも迎えた親番で良くなったかどうかは疑わしい。それでも、あるか、ないか解らない1本の細い糸を手繰り寄せられる可能性はあったように思える。それを全て無為にしてしまったのも普段の鍛錬が足りない、もしくは疎かにしている証左に他ならない。

自戒の意味を込めてお読みの方々に伝えたい。
仕舞い方__何の仕事であれ、道であれ、これほど大切なものはないように考えている。