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第116回『~明日に向かって~』 前原雄大

2016/12/22
執筆:前原 雄大


~明日に向かって~

対局が終わり、家路に着くとその日のうちに必ず自分の対局は観る。
このことは以前にも記したことであるが、付け加える事があったため改めて記す。

私の麻雀の骨格は大局観と対局感である。場況等も勿論加味するが、このことよりも優先する。
相手の僅かな息遣いなどでも打牌が変わることも珍しいことではない。
それ等の事は翌日観戦するよりもその日のうちに観ておかないと、打牌の意味合いを忘れてしまうからである。
ことに対局感は忘れがちな部分で、実際の対局と私の対局感のズレの修正を見つけ出すためにどうしてもその日のうちに観ておきたい部分ではある。
相手にアガリがあった場合はその時解るものだが、流局した場合などは観戦しないことには解らない。

先日、藤崎智と対局した折り、速い巡目で中をポンして、打白という局面があった。
混一もなさそうだった、対々はあるかもというのが私の対局感だったのだが、一案の本線に関いたのは大三元だった。
白の槓子からの一枚外したものだと思い込んでしまった。
このことは藤崎のブランド力もあるのだが、過去の別の対局の時、他の打ち手であったが実際に経験したことだった。
その時は決勝戦の終盤であり、槓子からの一枚落としが整合性のあるものだった。そして確かにその時は私の感覚通り大三元だった。
軽く相手を見ていたらその時タイトルは取れなかったと未だに思っている。
先日の藤崎の時にはテンパイ気配は間違ってはいなかったが、大切な部分を見落としていた。
藤崎のトータルの持ちポイントである。
降級の可能性のある彼にとっては大一番だったのである。
私はこの日それまで2連勝をしながらもその後失速。原因の一つはこの局にあると思っている。

A1にいる限り同じようなメンバーで戦うわけだから、明日の為にその日のうちに対局感のズレを見つけ出すことは大切なことである。
即効性のあることではない、しかも、相手も変容し続けている。役に立つか立たないかは定かではない。
それでもその日のうちに確認する作業はプロとして大切なことだと信じて疑わない。
特に私のような凡庸な打ち手が相手に優るものがあるとしたら、これくらいのものだろう。

 

 

~それにしても~

 

KKTなる言葉がある。これはクマクマタイムを簡略化したものだ。格好よくて、羨ましいかぎりである。私も瀬戸熊直樹ほどではないにしろ、連荘力はある方だと思っている。
そんな事を考えながら、ぼうっとした頭で2回目の確認作業をしていた。もう翌日の午前中だったと思う。
コメントに【GGT】なるモノが流れた。
最初はグレートジーザスタイムかと思ったが、ジーザスであればGではなくJだろうと考えた。ちなみに、ジーザスクライストはイエスキリストのことである。
次に思いついたのが、グレート剛力タイム。しかし、剛力彩芽は2,3年前お気に入りだったのだが、最近は有村架純であるからこれも違うだろう。大体において、私に何の断わりもなく、髪型を変えた有村架純は許せない。
勿論、面識はないのだが・・・
最後に思いついたのが、グレートガラクタタイム。うん、これだろうと思った。
しかし、流れたコメントは
ゴリゴリタイム!!
これは、ないだろう__
それにしても、格調高い連盟の上級講座に私はいったい何を綴っているのだろう。
お許し願いたい。

 

~常識を知って常識を捨てる~

 

どの道であれ、常識なるものが存在する。
華道しかり、茶道も道と名のつくものであれば全てに言えることである。
それが競技であれば、常識が必要であることは論を待たない。麻雀も同じである。セオリーと言っても良いかと思う。
例えば、鳳凰戦であれば1節半荘4回戦である。入りはとても大切であり、それを間違えればその日1日をダメにしてしまうことも少なくない。
私個人の考え方ではあるが、1回戦の東場でその日一日のデキの良さ、悪さは推し量れるものだと考える。
それだけ『入り』は私なりに大切にしている。
ただ、それが他者からどう映るかは別物である。
先日紺野真太郎さんに言われた言葉が新鮮だった。
「チームがらくたと言っても前原さんと寿人は違いますよ。前原さんのは『受け』から入った攻めだと思います」
己の事は解らないというのが本音であるが、大抵は他人の評価が的を得ているように思う。
もしくは、私自身が変容してそのことに気が付かないだけかもしれない。
例えば瀬戸熊直樹さんを『攻め』、藤崎智さんを『受け』と世間的には称するようだが、私から見ればそうは映らない。
質は違うが瀬戸熊直樹さんも受ける時はしっかり受けるし、藤崎智さんも攻める時は阿修羅の如く攻める。
要はポイントの問題であり、バランスの取り方の問題だけである。

本題に入る。
今期よりA1リーグは節数が増えた。
節数が増えるということは縦長の展開になることは始まる前から予想されたことだった。
最終節までに欲しいポイントは250を考えていた。250あれば最終節、上位4人の戦いでも競らずに済むからである。
このことは昨年、最終節トータル2位につけながらも決定戦進出を逃した苦い経験からくる。
そして、今期、170ポイントほど持った東1局ドラ四索の3巡目である。
三万四万五万二索三索四索七索九索二筒三筒四筒六筒六筒

この手牌をヤミテンに構えた。
理由は簡単である。
配牌3シャンテンが僅か3巡でテンパイしたのである。言葉を変えればツモが活きているのである。伸びる手牌を伸ばすのは鉄則だろう。少なくとも私はそう考える。
逆に配牌1シャンテンで、6巡目のテンパイならばそれほど、ツモに手ごたえを感じずこのままリーチを打つ可能性も私の場合はある。
次巡ツモはドラである、四索
九索のトラズも基本である。そして、ツモ二索
打点は申し分ないが、一番好まないツモである。そして、ツモ五索

 

100

 

私はヤミテンに構えた。
荒正義さんが解説されていた。
「ここはヤミテンに構えアガリを取り状態を上げていく処でしょう」
正論であり、常識、セオリーと言うべきものである。本手を打つということである。
当の私は別の事を考えていた。
局面が穏やかであること、もう一つはこれが本線なのだが、なぜ先にツモ五索ではなく、ツモ二索の後にツモ五索なのだろう__。
それと、250ポイントを目指すならば打つべきリーチではないかと。
私の想定ではツモ六筒がベストで、次に三索五索の順だった。
若い頃はそんなことは考えなかったように思う。
いや、考えていたかも知れないが、それでもリーチを打ち切れていたように思う。
仮に流局したとしても相手に手牌を魅せるだけで充分すぎる効果はあったように思う。
年輪を重ねるということは大局観に明るくなる一方で反射神経が衰える。
どれだけ鍛錬を積んでもこの部分は現状の私では致し方ない所であり、何とかしなければならない処ではある。

次巡ツモ四筒を空切りしている。
実は、ここが、最後の決断の瞬間でリーチを打とうと考えていた。ところが、リーチの声がでなかったのである。アガリを拾いに行ってしまったのだ。
結果は伊藤優孝さんの2,000点のツモアガリで収束をみた。
局後、荒さんが解説されていた。
「この結果を前原がどう捉えるかが大切である」
そんな言葉だった。
私自身も対局中は結果を踏まえたうえで、臨戦態勢に入っていた。済んだ事を考えていてもプラスは何もないからである。
それでも、伊藤さんはそのアガリを機に波をとらえ、勢いを持って行かれた。
我々が欲しいのは点棒ではなく、ツキという名の曖昧模糊とした、波である。家路に着きながらも結果よりも過程を考えていた。自分らしく打てたのかと。
そもそも、自分らしさとは何かを__。

この原稿を書き終えた後、正直な気持ちをツイッターに挙げたら予想以上の反応があった。

__それにしても、麻雀の難しい処は知れば知るほど解らないことが増えて行くことだと感じる。そう考えるのは私だけだろうか?__

それでも、僕たちは明日に向かって打ち続ける。自分らしさとは何かと己自身に問いかけながら。そうすることしかできないのだから。
そして、それが、麻雀プロの在るべき姿のように私は考えている。