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第78回『相手を識る』

2013/06/18
執筆:前原 雄大


もう遠い昔、そう30年ほど前のことである。
私は麻雀が強くなりたくて、半年以上、荒正義さんの後ろでほぼ毎日、週に5日から6日、1日6時間から8時間ずっと麻雀を観ていた時期があった。半年間、少なく見積もっても、1,000時間以上は全く麻雀を打つことなく観ることだけに専念していた。

荒さんのななめ後ろに座り、それを見続けるということは、荒さんだけでなく、もう1人の打ち手の打ち筋、仕草、オリのタイミング、その打ち手の気息、背景などが理解できるということでもある。
その店の常連は、20~30人くらいだったと思うが、彼等の麻雀の背景を識るには、十分な時間を費やせたように思う。荒さんが打ち終えた後にする反省会が、また凄く勉強になった。

当時の私は全くの下戸で、酒は元来体質に合わなかった。
逆に荒さんはお酒が好きで、アルコールが入ると饒舌になり、その日の麻雀のことを良くしゃべってくれた。

「答えは自分の手牌にはないから・・・相手の視線、仕草、手牌進行にあるから」

そんな荒さんの言葉の塊、麻雀観を教えてもらった。
それを忘れないように、帰りの電車や帰宅後ノートに綴り続けるのが私の当時の日課だった。
そして十分な睡眠を取り万全の体調で翌日、また観戦に出かける。
その繰り返しの日々が、二十代半ばの私の生活すべてだった。

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鳳凰戦1回戦南1局、私は4巡目に藤崎から打ち出された五筒を仕掛けている。
普段の私ならば、ツモが順調に伸びているところだから、まず仕掛けることはない。
ならば、なぜ仕掛けたか?その答えは、荒さんの河にある。

荒さんの河から、私はその手を七対子と読んでいた。
七対子には攻めの七対子と受けの七対子がある。
攻めの七対子とは所謂ドラ含みであり、受けはドラがないか一色手が絡んでいない時である。

荒さんは本当にオーソドックス、もしくはスタンダードな打ち手で、受けの七対子に入った時は自分の持っているスジを殺す。
今局であれば、

四万六万七万七万三索三索二筒三筒六筒九筒九筒白中中  ドラ一筒

第一打にこの手牌から打四万としている。
そして2巡目に、三索のスジに当たる六索をツモ切り、3巡目には九筒のスジの打六筒としている。

つまり私の目からは、将来の待ち受け候補になる六筒-九筒は、すでに六筒が3枚、九筒が1枚、確信ではないが可能性として荒さんが九筒を2枚現時点で持たれていることになる。
3巡目にして残り枚数2枚か・・対局当時、私はボンヤリと考えていた。
そこに藤崎から唯一仕掛けられる五筒に身体が反応してしまったのである。

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結果は、望外のドラである一筒のツモアガリで収束を見た。このアガリは技とツキである。
仮に対面に座っている打ち手が荒さんでなければ、この仕掛け、この方法論は取らなかっただろう。
今局は、私が仕掛けなければおそらく流局になっていたように思う。

鳳凰戦は長い戦いである。そこから考えて行くと、今局のような戦い方はアガリは見たものの、正しい選択かどうかは甚だ疑問に思える。言葉を変えるならば、霞を掬い取るような戦い方であるからである。
事実、結果は瀬戸熊直樹の圧勝で終わっている。少し、話が逸れたが、相手を識ることは大切なことである。

「僕は誰よりも前原さんを研究しました」

お世辞半分かもしれないが、瀬戸熊直樹は事ある事に公の前でもそう言う。
私が幾つかタイトルを併せ持っていた折り、立会人ということもあったのだろうが、対局中ふと後ろを振り向くと必ずと言って良いほどそこには瀬戸熊が立っていた。

勉強会のとある場面の事。
ある女流プロが麻雀に行き詰まり、私に相談してきた時があった。
その時私は自分が持っていた本を読むことを薦めた。

「今の貴方にとって必要なことが記されているように思う」

それを横で聞いていた瀬戸熊は、すかさず「ちょっと貸して」そう言って、その本のタイトルと著作者を見ていた。
実際、瀬戸熊がその本を読んだかどうかはわからないが、多分読んでいると思う。

その翌年、瀬戸熊は奇跡的な逆転で鳳凰戦の切符を手に入れ、そのまま鳳凰位に立つとともに連覇し、十段位も併冠し、現在に至っている。

まずは自己の麻雀の確立ありきであることは間違いないが、それと共に将来、もしくは今、戦うべき相手を識ることは大切なことに思えてならない。