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第79回『其の先にあるモノ』

2013/07/17
執筆:前原 雄大


201307上級講座:前原雄大

『其の先にあるモノ』

私は眠っている間ほとんど夢を見ない。それでも時折見る夢はほとんどが悪夢である。
ここ数年は父親に叱られている、もしくは怒られている夢が多い。

父親はかなり不器用な男だった。私が生まれてから私自身褒められた記憶がない。
言葉で叱るのではなく、まず、ゲンコツが飛んでくる。
ゲンコツの理由を言う時もあれば、言わずに自分の部屋に戻ることもあった。

10代後半から20代後半にかけての間、一番ゲンコツが多かったように思う。
ひとつには、父親は会社を経営しており、長男でありながらも会社を継がず麻雀プロというあやふやな道を選んだことも面白くなかったのだろう。

ゲンコツがと言っても、父親なりに手加減は加えていたのだろうが、前歯が折れて歯医者に通う程度である。
最後に殴られたのは30代後半である。

父親の誕生日にベルトを郵送で送った。その翌日「家に来なさい」そう電話があった。
そしてゲンコツである。戸惑う私に父親は言った。
「お前は何処に住んでいるんだ?人に物を贈るのに郵送とはいったいどういう了見だ?」
「お前は基本というものが解っていない」
父親の言うことは概ね正しいことが多かった。

私はその後、恩のある方たちにお中元やお歳暮などを贈る時は郵送を止めた。
父親のゲンコツが無ければ、未だに私はそうしていたように思う。

数年前からプロテストの講師を担当し、問題の作成に当たり私は指示を出した。
「時事問題、タイトルホルダーの名前を記せなどという問題は作らないこと、そして点数計算問題を中心に平均得点が100点ならば80点取れる問題にすること」
時事問題、タイトルホルダーの名前などは知識として知らないよりは知っている方が良い。
ただ、麻雀プロを目指すならば点数問題、多面待ちなどの基本的な部分を確実に知るほうが大切である。
手筋よりも正しい手順を知るべきだと私は思う。

先日の勉強会で山田浩之が私に尋ねた。

三万四万二索二索三索四索五索三筒三筒四筒四筒五筒六筒六筒  ドラ五万

「この手牌から打六筒とした若い人がいるのですが、打二索とすべきと言い切って良いでしょうか?」
「局面を見ていないから何とも言い切れないけど、平面図で言うならば打二索は手筋というより手順だと思う」
「ツモ二万を想定した場合があるから、手順として言ったほうが良いと思う」

二索と構えればツモ二万の場合打五索となり、

二万三万四万二索三索四索三筒三筒四筒四筒五筒六筒六筒

六筒とした場合

二万三万四万二索二索三索四索五索三筒三筒四筒四筒五筒

この最終形の差は歴然としている。
プロテストの問題にしても今回の何切る問題にしても、一般のアマチュアの方ならば正解を導き出せる問題ばかりである。いわば基本である。
「牌効率」という言葉を言い出したO君に尋ねたことがある。
「牌効率とは?」
「単なる知識です」
その通りだと私も思った。

全ては知識であり、基本にしか過ぎない。ただ、その基本は勝負力とは関係ないが大切なことである。
それでも、知識は知識に過ぎない。

では、何が大切になって来るかと問われれば知恵であり、術であり、姿勢である。
ここ数年、第3次プロテストでは必ず出す課題に「瀬戸熊直樹の記した鳳凰の部屋」の感想文を提出させている。鳳凰の部屋には技術的な部分も含まれているが、それよりも現最強の打ち手の生き方、麻雀に取り組む姿勢が詰まっている。

感想文を書かせることにも意味があるが、最強の打ち手の思考、取り組み方を知って欲しい、読んで欲しいという願いから課題にした。私自身、年に何回か、トータルでは何十回読んだかわからないほどである。
鳳凰を獲るために、麻雀プロであるために、瀬戸熊の真実の言葉がつづられている。
まず、読みなさい。そして何をすべきか考える。そして、自分で考えたことをやるか、やらないかはテスト生、受験生が決めることである。

日本プロ麻雀連盟Aルール、オーラス北家、10巡目、持ち点28,000点  
他家には特に動きがないものとする。ただし、親がトップ目。

二万三万三索四索五索六索七索一筒一筒七筒八筒九筒西  ツモ八索  ドラ白

問題としてはリーチを打つかどうかということである。
Dリーグ以下の若い人達に訊いたところ、無条件でリーチを打つとの答えが大半を占めた。

Aルールは配給原点を割るか、割らないかは知識として大事である。
リーチを打ってアガれば必ず配給原点を超える。つまりは、プラス点がつくのである。
リーチを打たない方がおかしい。この答えも1つの理であることは間違いない。

その場に同席していた山井弘に訊いてみた。
「打つわけないでしょ」からかわれたのかと思ったのか、笑いながらそう答えた。

瀬戸熊直樹にも、先日同じことを訊いた。
「最後だけ帳尻を合わせようという考え方に問題があると思います。トップ目の親のブレイクチャンスのアシストをするような行為にしか僕には映りません・・・リーチを打ったらその先にあるものが見えてくるでしょ・・・前原さん、これって上級講座かなんかのネタでしょ?」
「そんなことはないよ」
「ホントですか?」
「本当だってば」
実はネタでした__。

こういう会話がなされるほど、ある程度のレベルまで上がればオーラスの子側のピンフリーチは存在しない。
順位点よりも、その先に在る勢いのある親側の攻めを警戒する方が、肝心となることを知っているからである。

この世の中に在る肝心なことは目に見えないと考えるのは私だけだろうか。
父親に誕生日のプレゼントを贈ったことは悪いことではない、ただ、それよりも肝心なことは自らの手で贈るということなのだろう。

私は40歳を過ぎるまで、殴られる痛みしか知らない男だった。
「お父さんも殴る加減がわからなくて指の付け根を痛め、何度かお医者様に通われたのよ」
母親にそのことを告げられるまで、自分の痛みだけに眼が行き、父親の殴る痛みなぞ考えたこともなかった。

「お父さんね、大事な人と会う時はいつもお兄ちゃんからもらったベルをしていったのよ」
最近になって妹に教えてもらった。私はそんなことさえ知らなかった。

全ての事は同じように思える。若い人はピンフリーチを打ち続ければ良いと思う。
いつの日か、痛みが解る時が必ず否応なく向こう側からやってくる。

その先に在るものが感じられるまで、解るようになるまでリーチを打ち続ければ良いと考える。
それが一つの若さの特権でもあるのだから___。