対局番組レポート

特集企画/創立30周年を迎えてのご挨拶

灘麻太郎灘会長

『創立30周年を迎えて』

おかげさまで日本プロ麻雀連盟は、本年をもちまして創立30周年を迎えることができました。
これもひとえに麻雀を愛し、私たちプロ麻雀連盟を支援してくださった皆様のおかげだと深く感謝しております。
ただ、私たちはこの記念すべき年を素直に喜べない状況にあります。
未曾有の規模で起こった東日本大震災によって多くの尊い命が奪われ、
今もなお、恐怖に脅えながら苦しい避難生活を送っていらっしゃる方が多い、という事実は、私たちの心を強く痛めつけます。
私たち日本プロ麻雀連盟は、今後、活動費の一部を義援金にあてるなど、さまざまな形で被災された方々を応援していきたいと思っております。
聞けば、被災された方々の中にも麻雀をお好きな方が多数いらっしゃるといいます。
1日も早く皆様が、笑顔で麻雀を楽しめる日が来るのを祈っております。
私たち創立30周年を迎えた日本プロ麻雀連盟も、より一層精進し、皆様に愛される団体としてがんばっていきます。
被災地の皆さん、どうか、心を強く持って、がんばってください。
小島武夫灘会長

記念コラム 『30年を振り返って』

日本プロ麻雀連盟を創ってから、もう30年になるのか。
プロの団体を作ろうと思ったのは、阿佐田先生と作っていた新選組を解散した頃である。
当時、アマチュアの団体がいくつかあった。
そのころ団体として全国で活躍していたのは、初代の会長が菊池寛だった日本麻雀連盟という団体だった。
私も一時はこの連盟の会員になっていた。というのは、当時私が働いていた麻雀荘が、「アイウエオ」というお店で、隅の一角をその団体の道場として貸していたからだ。
普段は3、4卓しか立たないが、月に1度の月例会は100卓のテーブルが満卓になった。
しかし私は、アマチュアの団体には興味がなかった。職業としてやっていけるプロの団体を創りたかった。
プロの団体を立ち上げるといっても簡単ではない。私1人ではどうにもならない。
そこで当時、麻雀用具販売で有名な「かきぬま」の社長に協力してもらうようにお願いして、
さらに、その頃四谷の組合長だった染谷さん、副組合長の大竹さんの両名にも応援してもらい、
赤坂で発足式を開いたのが始まりだった。そのときに集まったのが今の一期生だ。
立ち上げるのも大変だが、また維持していくのがそれ以上に大変である。
今の幹部連中は頭の痛いことばかりだった。
苦しくとも途中でやめたと、とてもじぁないが言えない。いろんなイベントも考えていかないといけない。
方法は幾つかあるだろうが、スポンサーがついて、賞金がもらえる大会が組めればそれにこしたことはない。
だが、最初からそう簡単にスポンサーがつくわけはない。
打ち手として魅力がないと、スポンサーになるとは言ってくれない。
例えば、会社をつくるにしても資金があれば誰でも作ることは出来るが、問題は会社を維持していくことが出来るかどうかである。
日本プロ麻雀連盟も似た様に、苦しい時代があったのだ。
しかし、今の連盟を見ていると、よくここまできたなと感心をする。私など、何も大した事はしていないと思う。
これからも連盟が続くかぎり、幹部の人は苦労がたえないだろうし、様々な問題も起きると思うが頑張ってもらいたいと思う。
所帯が大きくなれば大きくなるほど大変だと思うが、次の世代に麻雀道を伝えることは日本プロ麻雀連盟の使命なのだ。
私がこんな偉そうなことを言っていいのかと思うが、これからも全員が一丸となって連盟を盛り上げて行ければと思う。
最近は若い人も育って来た。将来は大いに期待できるだろう。
麻雀ファンの方々へ、これからも日本プロ麻雀連盟の応援をよろしくお願いします。