プロリーグ(鳳凰戦)レポート

プロリーグ(鳳凰戦)レポート/第32期A1リーグ第5節レポート 前原 雄大

「競技麻雀プロを目指す若手プロであれば、簡単に箱を割るような麻雀を打つべきではない。」
1978年のビッグ麻雀という専門誌に、ある若手プロが記していた。
然り、私はそう思い、その言葉を一つの指標にして麻雀を打ち続けてきた。
罪とさえ考えている処があった。
最近になってそれよりも重たい罪を犯した。
3節で120ポイント弱を幸運にも得ることが出来、140ポイントをオーバーしたのである。
鳳凰位決定戦を考えるならば、充分すぎるポイントである。
それが、翌節70ポイント弱マイナスをしたのである。これは、間違いなくプロとして罪以外の何物でもない。
一番ポイントを持っている者が70も沈むなどと言うことはあってはならないことなのである。
体調も良かった、人から見れば少ないかもしれないが、6000歩を毎日歩き始め、腰の弱い私は、腹筋、背筋も怠らないようにしていた。
好きではない肉も週に1、2度は食するように心がけた。
では、何がいけなかったのか。
姿勢である。戦う姿勢が間違っていたのである。
丁寧に打つということと、戦う姿勢をはき違えていたのである。
そして、迎えた今節である。
1回戦
東2局、勝又の先行リーチを受けて、14巡目、私はツモ七万でテンパイが入る。
三万五万五万七万八万九万三索四索五索六索七索二筒二筒二筒  ドラ九万
解説者である、森山茂和会長
「これは、リーチですね!えっ、リーチしないの?めずらしいね。」
確かに森山の言葉通り、こういう場面では、要の七万が埋まり良形になった場合はほとんどと言って良いほど、私は追いかけリーチを打ってきた。
なぜ、リーチを打たなかったのか?
平面図で言うならば、この二索五索八索待ちは良いマチにはとても思えなかったことが1つ。
本線は、近藤と藤崎の存在が大きかった。
私が、リーチを打った場合、実戦と同じように藤崎はおそらく、手牌に三万がはいっており合わせてくるだろうと読んでいた。
一見オリに向かっている近藤だが、その三万を仕掛けるように読んだ。
そして、現実は私の読んだ通り、近藤は藤崎の三万を仕掛け、次の私のツモは勝又のロン牌である8枚目の七索
不思議に思うのだが、何度こういう場面が近藤との対局ではあっただろうか?
打ち手である以上、特定の打ち手にフラットではない意識を持つことは損である。
また、それを言葉にするのは相手の気分を良くさせ攻めやすくさせ、さらに損である。
近藤と初めてA1で戦ったときのことは今でも鮮明に覚えている。
一万一万一万二万三万四万五万六万七万一索白白白  ツモ八万  ドラ一万 
元のテンパイ形は
一万一万二万三万四万五万六万七万一索二索白白白
この牌姿からのツモ一万からの変化である。
私は慎重に頭の中で自分がツモアガった時の点数を数えていた。
もう私も大人なのだから、出アガったときも、ツモアガったときもできるだけ柔らかく発声しよう。
そんなことを考えながら打一索のリーチを打ったのだが、下家の近藤がしばらく考えた後、
「チー」
賢明な読者はこの先の筋書きは読めるだろう。
親番の私が次巡ドラである一万を掴み近藤に放銃したのである。
二万三万一筒二筒三筒六筒七筒八筒九筒九筒  チー一索 左向き二索 上向き三索 上向き
{こういうこともあるさ・・}
などと考えていたのだが、その後、こういうことばかり起きるのである。
近藤は善良な男である。麻雀の打荘数も麻雀荘をやっている以上、相当なものだろう。
今局も近藤は瞬間テンパイを組んだが、最終的には丁寧にオリに廻りノーテンで終えている。
いずれにしても、七索を掴まされた現実は先行きに暗雲を感じさせた。
次局も私はめげずにリーチを打つ。
三万四万五万五万六万七万一索二索三索三索四索五索二筒  リーチ  ドラ二筒
これも近藤に交わされる。
一万二万三万二索三索四索六索七索七索八索三筒四筒五筒  ツモ七索
仮に近藤が六索九索待ちでリーチを打ったとしていれば私の九索での放銃だった。
迎えた親番、
七万八万九万九万二索二索二索一筒四筒六筒七筒南北中  ドラ北
この配牌が上手く伸びて
七万八万九万二索二索二索三索四索六筒七筒八筒北北 
このリーチに近藤が二索で放銃してくれた。僥倖である。
続く1本場、何かが変わって来た予感を抱きながら、今局は徹底的に攻め抜くことを意識する。
一万三万六万八万二索三索九索三筒三筒九筒北北白中  ドラ九万
この配牌が5巡目には1シャンテンになる。
ツモが活きている証である。
ただ、7巡目に至りネックの二万が枯れてしまった。そして、対面の勝又の捨牌のトーンが高い。
第一打の東から始まり、マンズの下目を払い、5巡目の打七万は速度とドラのトイツを感じさせた。
そして、少考の後の打五索はこちら側としては迫力十分である。
それでも私は向かって行くつもりであった。
ところが実際に勝又からリーチが入り、ここで頭ではゴーサインなのだが、身体が丁寧にトイツの打北としてしまう。
丁寧と記したもののアガリに向かうならば、打発が至当な一打である。
アガリを前提に考えるならば、悪手と呼んで良い一打である。
例えば、空から、千本を超える敵の矢が降り注ぐように放たれた状況を思い浮かべれば良い。
何処に逃げようとも当たる時は当たるものなのである。
ならば、逃げずに真っ向から、戦うべきなのである。
ましてや、僥倖とも呼ぶべき前局のアガリを考えれば、何処からリーチが入ろうとも自手に忠実に打てば良いだけのシンプルな場面なのだから。
__「オマエはダレなんだ?!」
北を打ち出した瞬間、私の中の誰かが呟いた。
結果は流局であったたが、
三万三万七万八万九万一索二索三索一筒二筒三筒三筒五筒
このテンパイか、
三万三万七万八万九万一索二索三索五索六索七索二筒三筒  ツモ一筒
このアガリかのどちらかで、少なくとも、親番の維持と期待できる2本場が待っていたように思う。
私は麻雀を自分の中の弱さと向き合うものだと考えている。
チャンスを自分の心の弱さから失うのも誰でもなく、己自身であり、ピンチの中で、目先に拘り、欲に駆られ攻め込んでしまうのも己自身である。
勝ち負けはともかく、私自身が己を嫌いにならないような、そして、視聴者の方々に落胆されないような麻雀を打って行かねばならない、そう考えさせる第5節であった。
残された時間はそう長くは無いのだから。