女流プロリーグ(女流桜花) 決勝観戦記

女流プロリーグ(女流桜花) 決勝観戦記/第8期女流桜花決定戦 最終日観戦記

【震え】
恐怖の始まりは認識から…人は認識したのちに震える…!
これは有名な麻雀漫画「アカギ」に登場する日本の裏のドン・鷲巣巌の名セリフだ。
どんなに恐ろしいものが近くにあっても、それが認識できなければ人はまったく怖いと思わない。
逆に、かなり距離があっても「認識」してしまった瞬間、人は恐怖心を抱く。
当然のことなのだが、それを改めて気づかせられる。「認識」こそが震えの始まりなのである。
吾妻さおりも「認識」することで追い詰められていたはずだ。
2日目が終わって翌日曜日はただ疲れていただけで、放心状態だったかもしれない。
だが、月曜日、火曜日と、刻一刻とその時が近づいてくると、否が応にも「認識」させられてしまう。
次の土曜日には天国と地獄のいずれかが待っていることへの「認識」だ。
地獄に落ちるのは絶対にイヤだ。天国行きがほぼ確約されているのに、ちょっとミスっただけで地獄に落ちる。そんなのまっぴらゴメンだ。
しかし、天国行きの切符を手に入れるのは容易ではない。ほぼ手中に入れてはいるが、確実に手の中に入ったわけではない。「ほぼ」を「確実」にするために、絶対に苦しい思いをすると分かっている。
いずれにせよ、とてつもなくしんどい麻雀を打たされるのだ。
そんなことを考えていたら気がおかしくなる。
胃がキリキリと痛くなって、生きた心地がしない。
別に優勝が手に届きそうでもない選手でさえ「大変な思いをした」と言っていた。
吾妻と優勝争いをした和久津晶は、この戦いの後、体調を壊してしまった。
私は知らずに取材をしようとして電話をかけてしまったのだが、本当に和久津か? というようなか細い声で驚いた。
プロ同士が本気でやり合うのだから当然といえば当然だが、この人たちの麻雀は、世間の「女性の麻雀」のイメージからはかけ離れていると思う。
大げさかもしれないが、お互いの精神を破壊し合っているようなものだ。「精神の格闘技」のようなことをやっているわけだから、試合後は心がボロボロになってしまう。
吾妻は、こういった戦いを初めて体験するわけだが、元教師だけあって予習は怠らなかった。
いつか自分がその舞台に立つために、他の選手たちの戦いを、牌譜やニコ生で研究し続けてきたから、何となくは分かる。
平常心を保たなければならないが闘志は燃やしていなければならない。焦ってはいけないが敵に後れをとってはならない。勝ちを意識し過ぎてはならないが絶対に勝たねばならない。必要以上に怯えてもならないし、かかり過ぎて前のめりになってしまっても良くない。
つまり相反し矛盾することを両方ともこなさねば麻雀の決勝では勝てない。ただ中間地点でバランスを取れば良いというものでもない。
こんな難しいこと、普通の人間にはできるわけがないのである。
たとえ乗馬のビデオを百万回繰り返して観たとしても、いきなり暴れ馬に乗ることはできない。それと同じことである。
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最終日の1戦目、第9回戦の吾妻の東1局は、震えていたと思う。
映像を見る限り、指先や身体が震えていたわけではない。だが、心は多少なりとも揺らいでいたはずだ。

 
二索三索四索五索七索八索九索二筒四筒六筒七筒東発  ツモ八索  ドラ五筒
5巡目。東発は生牌で、吾妻は八索をツモ切った。
決しておかしな一打ではないが、伸び伸び打っているとは言えない。
ここまで攻撃を武器にし、周囲を振り回してきた吾妻なら、打発という手もあっただろう。
カン六索、カン三筒と引ければ五筒八筒待ちのメンタンピン。
そんなにうまくいくとは限らないが、いかないとも限らない。
そして次巡、2枚切れの北をツモ切り。
打ち手の意志は完全には分からないが、東發を打たないのはただ字牌を残したいのではなく、鳴かれるのが嫌だったということだろう。もし受けに回った時の安全を意識するなら北は温存して打発とするはずだ。
そして次巡、七索をツモったら打東。これは下家が東をツモ切ったからである。
さらに次巡、七索をツモって以下の形から打発
二索三索四索五索七索七索八索九索二筒四筒六筒七筒発  ツモ七索  ドラ五筒
この時点でまだ發は生牌だったが、1シャンテンになったから切ったのだろう。
それと七索が3枚になって、上家の安田麻理菜と下家の魚谷侑未が9を切っているから、安全牌が確保できたというのも理由のひとつだと思われる。
対面で当面のライバル、トータル2位の和久津晶の現物も二索がある。
吾妻にしてみれば、こうやってちゃんと考えていて、探り探りいっていて実際は予定通りで、私などからとやかく言われる筋合いはないのかもしれない。だが、私には少しだけ引っかかったのだ。
初日の、元気だった吾妻なら、さっさと発東も切って、以下のような目一杯の手になっていたのではないかと思ったのだ。
二索三索四索五索七索七索七索八索八索九索二筒四筒六筒七筒  ドラ五筒
ここから二索を切るか九索を切るかは分からない。もしかしたら一気通貫を見て二筒というのも絶対ないとは言えない。
しかしまぁ、役牌を大事に扱い、様子を見たいという気持ちも分かる。
だが、次局を見て、やはり「あれ?」と思ったのである。

 
2巡目、
二万二万三万三索五索二筒三筒五筒六筒八筒九筒東中  ツモ中  ドラ六索
吾妻はここでいきなり生牌の東を打ったのだ。
東1局とえらい違いである。
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メンツ候補はオーバーしていて、この手こそ役牌を止めながら進めやすい手だと私は思う。
二万を打っても良いし、八筒九筒に手をかけても良い。
もちろん東を打つ手も全然ありなのだが、もし、東1局の親番の打ち方が気に入らなくて、自分の気持ちを慌てて修正しようとしているのなら危険だと思った。
次巡、カン四索をツモると打九筒としたが、これも私は八筒が先だと思う。
マークすべきは前局、安田のリーチをかいくぐってアガった親の魚谷で、リーチ棒つきで放銃した安田の方ではないだろう。
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だから先に安田の現物を打つべきで、魚谷の現物の九筒は後回しだと思う。
あまりネチネチ言うと吾妻のことを批判しているように思われるのでこの辺でやめておく。
私はただ、タイトル戦の決勝のプレッシャーによって、人がどうなるかを伝えたかった。
「アカギ」の作者・福本伸行先生なら、名セリフでビシっと登場人物の心境を伝えられるのだが、私にはそんな筆力がないのでご容赦願いたい。
私自身もプレッシャーがかかった局面で同じようになった経験が何回もある。
特に序盤の打牌がおかしくなり、序盤がおかしくなると、中盤はもっとおかしくなる。
そして思考までもおかしくなってきて、末期症状になると、相手からリーチが入ったところでホっとする。
「この局はオリてしまえばいい」と妙な安堵すらしてしまうのである。
吾妻が同じというのは失礼だからそこまでは言わない。
実際にインタビューしてみたら「全然違う!」と叱られるかもしれない。
だが、彼女の心の中はともかく、事実として、この半荘で吾妻は1人沈みのラスとなってしまった。
しかも1回もアガれずの、いわゆる焼き鳥状態。
そして、和久津との点差は10,000点弱。この回トップの魚谷との点差も約60ポイントと射程圏内に入った。
この後、誰かが吾妻に優勝者インタビューをするだろうから、私はあえて取材的なことをするのをやめた。
だから想像でしかないのだが、やはりこの回の吾妻の麻雀は、本人が納得いくような内容ではなかったと思うのだ。
【9回戦終了時成績】
吾妻さおり +36.1P
和久津晶  +26.9P
魚谷侑未  ▲25.6P
安田麻里菜 ▲37.4P
 
一万のアヤ】
点差が縮まり、吾妻はズルズルとマイナスの方向へ引きずり込まれるかと思っていたが、ここで吾妻は踏み止まった。
試合後に吾妻はこう語った。
「自分が苦しいのは当然でしたが、対局相手の表情を見ると、みんな苦しそうだなと思って。みんな今まで、そうやって苦しい思いをしながら頑張って勝って、タイトルを獲ってきたんだと思いました。そうしたら、こうやって苦しい戦いができていること自体が幸せなんだと思うことができて。苦しいのは当たり前で、その苦しさから逃げてちゃ相手にも麻雀にも失礼だと思って、頑張ることができました」
吾妻は戦いながら、こんなことを思ったという。
普通は自分の「利」を失うことを「認識」し、震え、どんどんワガママになって自滅するのであるが、吾妻は謙虚になることで震えを止めることができた。
勝ちたいという「欲」よりも、相手や視聴者、そして麻雀に失礼のないように、自分だけ苦しさから逃げてはいけないと奮起して、心の震えを封じ込めたのである。
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10回戦の吾妻の戦い方は堂々たるものであった。
本当に同じ人が打っているのか? というぐらい、180度違う戦い方を見せた。

 
10回戦、東1局の6巡目。
二万三万四万七万二索三索四索六索五筒六筒九筒九筒白  ツモ八万  ドラ六筒
3フーロしている親の安田に対し、生牌の白をぶつけたのである。
確かに、冷静に考えれば通りそうな牌である。
安田は字牌を2つポンしてソーズをチー。もしこれで白がアタリならホンイツになっているか、ホンイツを狙った形跡があるのが普通だ。
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だが、安田の捨て牌は八索四筒の順番で、ホンイツなら逆である。しかも中は同巡2鳴きしている。
もちろん、迷彩のためにあえて1枚目の役牌をスルーしたり、切り順を逆にすることはあり得るが、それにしてもできすぎだ。
吾妻は手なりの仕掛けだと読み切って白を打ったのか。それとも「退かない」という決意だけで開き直ったのか分からないが、もし読みがあったとしても白は簡単に切れる牌ではない。
これがもし、勝ったらみかんがもらえる家族麻雀なら「余裕の白」なのだが、吾妻にとっては一世一代の大勝負である。
本当によく打てたよなぁ、と感心する。
吾妻は白を切る時、激しくシビれたに違いない。少なくとも、見ていたこっちはシビれさせられた。
もし、この白打ちが酷い結果になっていたら、またここで吾妻は悪夢にうなされていたかもしれない。
白は上家にポンされたが、最悪の結果にはならなかった。
自分がアガったわけではないが、吾妻にとっては大きな「白の無事通過」だった。
結果は千点の横移動だが、この局の持つ意味は非常に大きかったと思う。
そして次局。私はこの局こそが吾妻を優勝に導いたと思っている。
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安田の11巡目。メンツ手でも七対子でも1シャンテンになる手牌でドラが2枚だが、対面の吾妻が東をポンしてマンズのホンイツ気配である。
二筒が2枚切られているので、一索二筒を切る手もあるが、そうすると七対子が2シャンテンになり、ペンカン三万がネックになる。これはあまり良い手ではなさそうだ。
したがって、七対子の1シャンテンはキープしたいところだが、問題は何を切るかである。
一万三万四万六索のどれを切っても七対子は1シャンテンだが、三万六索はメンツ手の可能性がなくなり七対子1本になる。
だから安田は一万を打ったのだが、これが吾妻にとって超ラッキー牌となった。
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実は吾妻の手はこうなっていて、安田の一万をポンして打白。これでテンパイし、次巡、ラス牌の一万をツモって1,300・2,600点のアガリとなったのである。
実は生放送をマシンルームで見守っていた時、私は「一万からじゃないだろう」と思っていた。
メンツ手を意識するなら二万からだし、七対子に重きをおくなら六索だって良い。両方を追いたいなら四万だってある。
そう思ったのだが、牌譜を検証すると、二筒が枯れていた。
これならメンツ手はほぼ捨てなければならず、二万切りというのはありえない。
もし安田が四万から切っていても吾妻はおそらくポンして一万ツモアガリになるので、助かる道は六索切りか三万切りしかなかった。
この六索打ちや三万打ちを安田に要求するのは酷だと思う。
安田さん、マシンルームで文句を言って悪かった。
だが、安田が守備型の麻雀で女流プロの頂点を極めようとするなら、いつかは六索が切れる打ち手になって欲しい。
あまり無責任なことは言えないが、現在、鳳凰戦を戦っている麻雀忍者こと藤崎智なら、この一万は打たず六索を打ったかもしれない。
これは超能力みたいな忍法みたいな奇妙な力をつけろと言っているのではなく、一万を打たないのは守備の基本でもあるからだ。色々な局面や都合はあるが、一色手志向の者がいる時のセオリーだからである。
たとえばマンズの一色手を狙っている人がいて、一万九万が生牌ならば警戒しなければならない。
もし一万四万と持っていて両方を切る可能性があるなら、先に四万を切るのが定石だ。
理由は単純で、四万をポンされて一万がロンになるケースよりも、一万がポンされて四万がロンになるパターンの方が圧倒的に多いからである。
それに、四万をポンした手牌と一万をポンした手牌では、その後の伸びが違う。
真ん中の牌をポンすれば手牌は分断され、変化を失う。
だが、端の牌をポンしてもあまり不自由にならず、手牌の柔軟さはなくならない。
もちろん、安田はそんなこと百も承知。今の理論は初心者に教えるべきことだからだ。
安田はすべて分かった上で判断して一万を切ったのだが、結果的には最悪だったと言える。
緒戦で1人沈みを食らい、精神的動揺を見せた吾妻が開き直って攻めてきた。
ここでガツンと頭を叩ければ、他の3者にも大チャンスが生まれるところだったが、このアガリで吾妻は自分を取り戻した。
安田が悪いと言っているわけではない。
ただ、事実として、このアガリが吾妻優勝の可能性を一気に高めたと私は思った。
次局、親番を迎えた吾妻はダブ東を暗刻にしてリーチ。魚谷から9,600点をアガる。
吾妻はたった1戦で悪夢を振り払い、再び優勝へ向け走り出した。
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【10回戦終了時成績】
吾妻さおり +55.2P
和久津晶  +21.8P
安田麻里菜 ▲28.4P
魚谷侑未  ▲48.6P
 
【本命の浮上】
吾妻には失礼な話だが、最終日が始まる前、否、始まってからもずっと「和久津が優勝するだろう」という雰囲気がアリアリだった。
誰が勝つと思う? とスタッフに聞いてみると、ほぼ全員が「和久津が逆転するでしょう」という答えだった。
それは吾妻が劣るとかいうことではなく、経験と実績と、そして和久津の恐ろしいまでの攻撃力を知っているからである。
それと、この程度の点差はプレッシャーになり、吾妻の枷というか重石のようになってしまうから、という見方であった。
和久津がリードしていて吾妻が追いかけるならともかく、あの超攻撃型麻雀アマゾネスから逃げるのは容易ではない。
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そのアマゾネスが激しい攻めを見せた。
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11回戦の東1局3本場。
場に出ている4本のリーチ棒と3本場。これを狙って五万をポンした和久津に、親の安田がリーチで対抗する。
リーチ後、安田がツモ切った三万をポンして打二万三筒六筒待ちのテンパイとなったところでつかんだのが生牌でドラの中である。
相手は連荘中の親である。この中がアタったら親満はほぼ確定。下手をすると親の跳満で18,000点の失点となるかもしれない。
いくら場に合計5,900点が転がっているとはいえ、この中を打つのには勇気がいる。否、勇気とかいう生やさしいもんじゃなく、無謀とか捨て身に近い気持ちが必要だろう。
せっかく吾妻に肉薄したというのに、これがアタっただけで戦線離脱となるのである。
だが和久津はほぼノータイムでツモ切った。
ガツン! と卓に叩きつけ、気合を入れて勝負した。
そしてこれが通り、すぐに六筒をツモ。
大きな大きな1ハン手をアガリ、これで勢いをつけると、一気に5万点超えの大トップ。
最終戦の直前で初めて吾妻から首位の座を奪ったのであった。
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【11回戦終了時成績】
和久津晶  +55.2P
吾妻さおり +33.8P
安田麻里菜 ▲ 3.1P
魚谷侑未  ▲85.9P
 
【牌に申し訳ないという気持ち】
最終戦を迎え、2位・吾妻と首位・和久津との差は21,400点。
日本プロ麻雀連盟のAルールではトップの順位点が8,000点しかないので、たとえば吾妻がトップ、和久津が3着でも12,000点しか縮まらない。
つまりその場合、素点でさらに1万点近く離さなければならないのだが、そんなに都合良くいくわけがない。
タイトル未勝利の吾妻にとって、リードは「震え」の要因ともなるが、何度も決勝を戦い、優勝も経験している和久津にとっては、リードはそのまま「利」以外の何物でもないからだ。
見ていたスタッフたちも「だいたい予想通りの展開になった」という空気が流れていた。
消化試合とまでは言わないが、よほど吾妻が頑張らなければ、再度の逆転は難しいだろうと思われていた。
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南1局1本場、吾妻から親リーチがかかる。
上家から三万が出たところだが、北家の和久津はこの三万をポンして三索を勝負した。
この時点で吾妻との差はほとんど変わっておらず、無理をする必要はないが、これが和久津の基本姿勢。
親の吾妻に4,000オールと言われて逆転されてから頑張るのではなく、今、こちらが戦える状態にある内に戦うのである。
しかし、これが裏目に出る。
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和久津はつかんだ四索を真っ直ぐ勝負し、吾妻に5,800は6,100点の放銃。
この一撃で吾妻が首位に返り咲いた。
だが、ここからが和久津の強いところである。
何と続く南1局2本場、
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その次、南2局、
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さらに続くラス前、南3局、
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と、3連続でアガリをものにする。しかもその内2回は吾妻からの直撃だ。
安いとはいえ、これでオーラスを迎えた時点で、再度和久津が上になる。
オーラスの親は和久津だったが、吾妻が1人テンパイだと逆転されてしまうので、1局で終了させることはできないだろう。まずは1回アガって、1本場で逃げ切れば優勝である。
吾妻の優勝条件は、4,500点の出アガリか、700・1,300点のツモアガリ。あるいは和久津もしくは魚谷から3,200点以上の直撃。安田からなら4,500点以上の出アガリというものだった。
そして3巡目、吾妻の手がこうなった。
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ピンフイーペーコーの1シャンテン。ペン三索を引けばリーチツモで安目でもOKなので、とりあえず七万を切る人もいるだろう。
ドラが五筒なので残すのは三筒の方だ。
だが、吾妻はここで一索を切った。
2シャンテンに戻したのである。
この一打、普段なら何てことはない、普通の手である。
しかし、この場面で、この手が打てる人が何人いるだろうか。
少なくとも、プレッシャーで震えてバランスを崩していた9回戦の吾妻なら打てなかったと思う。
だが、吾妻はそのプレッシャーに打ち克ち、見事に自分を取り戻すことができた。
否、プレッシャーと勝負したのではなく、ただ謙虚に目の前の手牌に向き合っただけなのかもしれない。
そしてその謙虚さに応えてくれるかのように、手牌が伸びた。
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高目タンピンリャンペーコーのテンパイ。
ヤミテンに構え、何をツモってもOK。四万なら誰から出てもOKである。
吾妻は冷静にヤミテンに構えた。
そして奇跡の四暗刻で大逆転を狙う安田から四万がツモ切られた。
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吾妻の戦いぶりは、終始、決してスマートな打ちまわしばかりではなかったと思う。
彼女も表彰式でのインタビューで言っていた。
「牌に対して申し訳ないような一打もありました」
自分で、何が何やらワケ分からなくなっているような時間もあったと思う。
しかし、最後の最後に、キレイな手がきてくれた。
否、本当は彼女が一索二索と払ってキレイな手を作ったのであるが、彼女は「最後にキレイな手ができてくれて、もっと麻雀が好きになりました」と言った。
彼女の麻雀と同じで、素直で素朴で謙虚な良い言葉だったと思う。
初のタイトル戦に挑戦するにあたって、吾妻が掲げたキーワードは「簡単には退かない」というものだった。
それを実践して見事に優勝したのであるが、その戦略よりももっと大きな勝因は彼女の謙虚さだったと思う。
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【蛇に足】
最後に蛇足かもしれないが、最下位に沈んだ魚谷の最終戦の麻雀について書いておきたいことがある。
最終戦、誰がどう見ても魚谷に優勝の可能性はなかった。
もちろん、可能性は無限大にあるわけで、絶対ということはないのだが、普通に考えたら無理である。
だから彼女は、最終戦を前にして、審判長の藤原隆弘に相談をした。
私はどう打ったら良いのでしょうか?
この答えは日本プロ麻雀連盟のタイトル戦においては、はっきり決まっている。
普通に麻雀を打つしかないのである。
テレビ対局など、優勝以外の2位~4位はすべて同じ価値で、かつ短期戦であれば、優勝の可能性がほとんどなくなった時点で邪魔をしないという打ち方もあるだろう。
最近はCSなどのそういった対局が増えたため、プロ麻雀界にも「可能性のない打ち手はおとなしくしていろ」的な風潮があるようだ。だが、それでは最後の最後だけ麻雀がひん曲がったものになってしまうというのが日本プロ麻雀連盟の考え方である。
優勝以外、ほとんど意味がないというのは前提としてあるにしても、程度の問題ということもある。
たとえば、1人だけが突っ走っていて後はダンゴ。最後が消化試合であったとしても、全員で何もしないというのはどうだろうか。
視聴者がいるとかいないとかにかかわらず、一生懸命、ベストの麻雀を打つべきではなかろうか。
だから極力、普通に近い麻雀をやるのがベターなのである。
もちろん、人間がやることであるし、実際には多少大物狙いになったりはする。
今回の魚谷でいえば、子でメンタンピンが見えている手を鳴いて1,000点というアガリはしないだろう。
いくら普段はやっているとはいえ、そこまで意味のないことはしない。
しかし、早い手が入ってメンゼンでテンパイしたらリーチをかけて、出たらアガらなければ不自然になる。
良くないのは中途半端だ。
対戦相手にしてみれば、優勝の可能性がほとんどない人が、どんな麻雀を打つにしても、一貫性を持ってやってくれればそれで良い。
見逃したりアガったりされたら堪らないが、「お前はアガらず放銃もせず誰にも鳴かせるな」ということはないのである。
日本プロ麻雀連盟では以前からそのような考え方でタイトル戦運営を行ってきたが、最近はニコ生などで対局が観られる機会が増えた。
プロの試合は戦いであると同時に商品である。
プロはファンの皆さんに支えられてナンボであり、やはり視聴者目線に立てば、戦いの終盤には「納得感」が求められるであろう。
そういう意味では、CSのテレビ対局のような、オールオアナッシング的なシステムを採用することも考えられたが、やはりタイトル戦の長丁場は事情が違う。
私たちがお見せしたいのは、プロ同士の緊迫感のある戦いだ。
終盤になるにつれ、4者のうち2者が「黒子」になり切って戦い、最終戦オーラスの親番だけが異常に有利で大逆転が当たり前というのはおかしい。
公平感や納得感のために「麻雀じゃない何か」で最後を飾りたくはないのである。
こういった悩みは長く麻雀界にあったのだが、滝沢和典が考案したシステムによって、現在その悩みはかなり解消されてきた。
日本プロ麻雀連盟では、数年前から最終戦の場所決めと親決めを成績で決定することにしている。
最終戦スタートの時点で1位の者が北家スタート。2位が起家、3位が南家で4位が西家スタートなのである。
これによって、各自の南場の親番がなくなるまで「普通に近い」麻雀が打てるようになる。
今回の魚谷でいえば、3位になることすら難しい状況だったが、南場の親番が落ちるまでは普通にアガリにいって良いという理屈が通る。
そして最も大きいのはオーラスの親だ。
この1局だけは、さすがに優勝の可能性がない者が手を出すわけにいかない。
自分が優勝するわけでもないのにアガってしまうわけにはいかないだろう。
だが、もし3位の者がオーラスの親で、2位も優勝するには役満条件となったら、3位の者が無駄に連荘し、終わらない試合が始まってしまう。
もちろん、首位の者がアガれば良いのだが、そうそう簡単にアガれるものではない。
逆に、親番の者には他家がアシストして鳴かせてくれたりもするので、首位の者にとって不利な戦いになるのが一般的だ。
そして長い連荘を行い、結局、逆転劇は生まれず終了する。
これって、視聴者にとっても選手にとっても、ただしんどいだけである。
また、たとえ逆転したとしても、これって本当にその人が強かったから逆転したと言えるだろうか?
甚だ疑問である。
だからオーラスの親にはトータル首位が座るのだ。
今回の女流桜花では、和久津がその位置に着いた。
展開次第ではあるが、ほとんどのケースにおいて、オーラス1局で勝負が決まる。
今回のように和久津を追い詰めれば、2局、3局と必要になることはあるだろうが、ただ形を作りに行くだけの無駄な連荘は行われない。
もちろん、これが完璧なシステムだとは言わないが、今のところはこれがベターだと考え、実施している。
今後議論を重ね、もっと良い方法論があれば取り入れられることもあるだろう。
前置きが超、長くなったが、こういった前提があって、その意味では魚谷は立派に最終戦を戦った。
ところが、こちらの説明不足があったからか、一部のファンの方から「邪魔をするな」という意味のコメントがあったようなので、クドクドと書かせていただいた。
別に魚谷が可哀相とかいうのではなく、ファンの皆さんには分かりやすくご説明しておく必要があると思い、観戦記とはあまり関係のないことを説明させていただいた。
今後、鳳凰戦などをお楽しみいただく上で、私たちの考えをご承知いただければ幸いである。