プロ雀士インタビュー

第208回:プロ雀士インタビュー 真鍋 明広  インタビュアー:古川 彩乃

三月のとある雨の日、都内の某喫茶店で待ち合わせをした。お店に入ると、先に到着していた真鍋プロは私の顔を見るなり言った。
「雨の中、わざわざすみません。今日はよろしくお願いします。」

真鍋プロと私は、同じ雀荘チェーンで働いている。複数店舗があるため、いつも顔を合わせているわけではなく、初めて会ったのがいつなのかは記憶も曖昧だが、私がプロになった頃には一緒に働いていた気がするので、少なくとも5年以上は前だろう。
彼は、後輩の私にも度々敬語を使い、それは彼がお店の店長となった今も同じだ。
麻雀の話をする時も雑談をする時も、先輩と後輩、上司と部下であるにも関わらず、とても丁寧に優しく接してくれる、非常に腰の低い男である。

そんな心優しきWRCリーグチャンピオンのインタビューを、古川彩乃がお届けします。最後までお付き合いいただければ、幸いです。

古川「改めまして、優勝おめでとうございます!!」

真鍋「ありがとうございます!」

古川「優勝が決まった瞬間はどんなお気持ちでしたか?」

真鍋「最終局が終わった瞬間は、麻雀をやっていて初めて泣きそうになりました。ほっとして・・・・。」

古川「悲願のタイトル獲得ですが、その後何か変わりましたか?」

真鍋「今までの人生の中で、一番たくさんおめでとうと言われました。昨日もお客様におめでとうと声をかけて頂いて・・・、正直嬉しいです!」

 

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今回のJPMLWRCリーグ獲得は、「悲願のタイトル獲得」であるが、それは初タイトルという意味ではない。彼は輝かしい経歴の持ち主である。
真鍋プロは九州本部に18期生で入会し、ジャガー真鍋という名前で活動していた。18期生というと、今回のWRCリーグ決勝で戦ったダンプ大橋プロや、女流四天王宮内こずえプロ、A1リーグで大活躍中の西川淳プロなどと同期である。
真鍋プロは九州本部入会後、第1、2、7、13期のプロアマリーグ優勝、そして第4期と11期には皇帝位を獲得しており、皇帝位決定戦の常連であった。
皇帝位決定戦以外でも、マスターズベスト8、十段戦ベスト8、王位戦ベスト16等好成績を収め、大活躍していた。
そしてその後、活動の拠点を東京に移し、名前もジャガー真鍋から本名の真鍋明広へと変えた。

古川「九州で大活躍されていたわけですが、なぜ東京に拠点を移そうと思ったのですか?」

真鍋「九州でてっぺんとっても満足できなくて東京に出てきたんですよね、東京で活躍しないと認められないってこともあったし。」

真鍋プロは九州でてっぺんを獲り、満を持して上京を決めた。

古川「東京に出てきてからは・・・」

真鍋「全然だめでした。」

2013年に活動の場を移したものの、その先の戦績は彼の期待通りにはならなかった。
C3リーグから始まったリーグ戦はC1まで昇級するものの、その後昇降級を繰り返し、現在は2期連続降級でC3リーグ。タイトル戦は出場するも、良い所まで残ることは出来なかったという。

古川「上京してから7年、思うような成績が出ない間は悩んだりしていたんですか?私だったら結構落ち込んだりしちゃいそうです。」

真鍋「いや、悩んだりはしなかったよ。ただ虎視眈々と日々を過ごしていたかな。」

揮わない成績にもめげることなく、ひたむきに前を向き虎視眈々と狙い続けてきたチャンスが巡って来たのが、このWRCリーグだった。7年越しのチャンスだ。
当然、出場している選手には皆、それぞれたくさんの想いがある。かけている想いの強さは、変わらないであろう。「自分は九州の看板を背負ってるんだから、簡単に負けるわけにはいかない。」そう語る真鍋プロの想いがぶつかった対局だった。

1月7日に行われたベスト16。対局者は、第6期WRC優勝のダンプ大橋プロ、現王位森下剛任プロ、地方予選から勝ち抜いてきた吉田圭吾プロである。ベスト16とベスト8は、卓内上位2名が勝ち抜けのトーナメントとなっている。
この日、第2回戦終了時の真鍋のポイントは▲45.4ポイント。この時卓内2位であった森下とのポイント差は78.6ポイント。卓内1位であるダンプとの差は84.1ポイント。
残り2半荘でどうまくるか。厳しい状況であったが、第3回戦で真鍋は起死回生の10万点超えのトップ、上位にいた森下とダンプ両者を沈めて1半荘でトータルトップに立ち、ベスト8への進出を決めた。
1月27日に行われたベスト8は、2回戦目にラスを引くものの落ち着いた試合運びで無事に決勝進出。

そして迎えた2月11日、運命の決勝戦。決勝卓のメンバーは、一昨年には女流桜花決定戦に出場、ベスト8で共に勝ち上がりを決めた中野妙子プロ。十段位シードによりベスト16からの参戦、ヤミテンを駆使して決勝まで進出を決めた大ベテランの伊藤優孝プロ。真鍋プロの同期でありベスト16で共に勝ち上がった第9期グランプリグランプリMAXのダンプ大橋プロ。そして東京での初タイトル獲得という悲願を背負った元皇帝位、真鍋明広プロ。全4回戦を闘い、優勝者が決まる。

決勝戦第1回戦の東1局、親の中野の先制リーチに追い付いた真鍋のリーチ宣言牌が中野への7,700の放銃となる。手痛い放銃からのスタートとなってしまったが、東2局2本場にタンヤオ七対子ドラドラをツモアガリトップ目に立つ。点棒の動きはあるものの、平たい展開が続くが、南1局の親番で4,000オールツモ、2,000は2,100オールツモとアガリを重ねた中野が一歩抜け出す。1回戦はそのまま中野がトップ、真鍋は2着、ダンプ3着、伊藤4着という結果。

第2回戦は、ダンプの4,000オールツモから始まる。しかしそこから中野が細かくアガリを繰り返し、再びトップ。2着にダンプ、3着伊藤、4着真鍋となった。
第2回戦を終えたところでのポイントは、中野+62.0P、ダンプ±0P、真鍋▲19.4P、伊藤▲42.6P。
中野と真鍋の差は、81.4ポイントである。

古川「2回戦が終わって中野プロと80ポイント以上離されていたわけですが、ベスト16の時も2回戦が終わった時にはそれ位のポイント差がありましたよね!追う展開は得意なんですか?」

真鍋「いや、それはたまたまそうなっただけで、どちらかと言えば先行逃げ切りの方が得意かな。」

古川「じゃあ、このポイント差に焦りはありましたか?」

真鍋「焦りはなかったですね、どっちみちやるしかないので。常に集中して打つことだけ考えました。技術はいくら頑張っても短期間で極端な進歩はしないからね。麻雀は集中力です。」

第3回戦、あと2半荘で84ポイント差をまくらなければならない真鍋に、東1局からドラ暗刻の勝負手が入る。

 

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六万をチーすれば満貫のテンパイが取れる1シャンテンだが、仮に上家から六万が打たれたとしてもチーテンをとるつもりはなかったと言う。

真鍋「チーテン取ったら脇からこぼれそうだったけど、脇からアガっても嬉しくなくて、ツモか直撃じゃないと意味ないと思って・・・」

数巡後、六万を自力で引き入れリーチをして見事にツモアガリ、3,000・6,000をものにする。
その後、伊藤の高打点のヤミテンに中野が二度捕まり、ビハインドの3名の包囲網に苦戦した中野は痛恨のラス。真鍋は粘りの麻雀で伊藤との競りの展開に勝ち、僅差ではあるがトータルトップで最終戦を迎えることとなる。

最終戦、スタート時点でのポイントは、真鍋+19.2P、中野+15.0P、伊藤▲16.0P、ダンプ▲20.2P。WRCルールは順位点が、+15、+5、▲5、▲15なのでトップラスは順位点だけで30ポイントかわせる。条件に差はあれど、全員十分に優勝が狙えるポイント差となった。

東1局、中野の親番、親の中野に仕掛けが入った後、伊藤からリーチが入る。ドラドラの真鍋は完全安牌も少なく自身の手に真っ直ぐ打つという選択をしたが、これが一発で伊藤への放銃となる。リーチ一発ピンフ、3,900。

真鍋「あの、最終戦東1局の放銃は相当痛かったね・・・」

古川「結構ふわっと無筋を押したりするシーンと、ものすごく丁寧に止めながら回るシーンがあって印象的でしたが、ふわっと切り飛ばしているわりに放銃はそんなに多くなかったですよね。」

真鍋「無筋でも、通るだろうと思って打ってるからね。読みで、比較的通りそうだと思ってるから切るだけで、ベスト16から決勝まで全体的にはあまり勝負をしなかったと思ってます。」

古川「手堅く打ったということですね!!」

東2局以降はアガリやテンパイを繰り返した中野がポイントを伸ばしていく。思い切りの良い攻めが上手くはまっていた。南1局の親番で中野はさらに加点し自身の持ち点を42,400点まで伸ばした。
しかし真鍋も負けじと、南2局の2本場にリーチツモイーペーコー、裏ドラを乗せて2,000・4,000をツモ。

 

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いよいよわからなくなってきた。
南3局、親のダンプのリーチに飛び込んだのは、テンパイで追い付いてしまった中野。3,900の放銃。真鍋と中野の点差は、僅か3,800点である。
そして南3局1本場、親のダンプの仕掛けを受けた中野はドラ1愚形のテンパイを腹をくくってリーチとした。これを親のダンプから仕留め、裏ドラを2枚乗せての満貫。
このアガリで、場はオーラスへと移っていく。

オーラス、伊藤の条件は役満ツモか中野からの役満直撃。ダンプはダブル役満が条件となる。そして中野と真鍋は着順勝負。点差は12,100点である。

古川「この時はどんな気持ちで麻雀打っていたんですか?」

真鍋「まあ、アガる意外ないからね、普通にやるべきことをやっただけだよ。」

とはいえ、7年越しに掴んだチャンスである。心臓が張り裂けそうなこの状況で、普通にやるべきことをやるだけと言い切れるのは、九州時代に皇帝位決定戦等で培ってきた経験があるからだろうか。

南4局、親の真鍋は好配牌。ドラドラの手を仕上げリーチをかけると、手詰まりをしたダンプから7,700を仕留める。これで中野との差は4,400点。
そして南4局1本場、四筒七筒に受けるとピンフ、カン七筒に受けると三色というテンパイ。

 

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真鍋は四筒七筒を選択し、見事四筒をツモアガる。1,300は1,400オール。

古川「ここはカン七筒で決めに行く選択もあったと思いますが、四筒七筒にしましたね。」

真鍋「公式ルールならカン七筒にしてたかもしれないけど、一発と裏ドラがあるし、2,600オールになったら大きいからね、アガリ逃しする方が良くないと思ったから四筒七筒にしました。」

このアガリで1,200点差で真鍋がトップ目に立つ。

南4局2本場、先に役なしのテンパイを入れていた中野に対し、真鍋が追い付いてリーチ、それを受けて中野も追いかける。

真鍋「中野さんが四索切りでテンパイだと思ったから、五索を勝負するか迷ったけど、アガリ逃したくないから、放銃覚悟で五索切ったんだけど、弱気にシャンポンにしてたらアガリがあったんだよね・・・」

この局は流局となり、勝負は次の局へ。

南3局3本場、この局で大きく戦況が変わる。真鍋は東南がトイツの手、中野はタンヤオの手。先に動いたのは中野だった。下家の中野の仕掛けを受けて真鍋も絞りながらの進行になる。

真鍋「この局がキー局だったと思う。後日、藤原さんからも完璧な手順だったとお褒めのDMを頂いて、すごく嬉しかった。」

中野のキー牌を抑えながら手を進めた真鍋は、中野から打たれた南を鳴いてテンパイを入れ、真鍋のテンパイ打牌を中野が鳴き返して中野もテンパイ。しかし中野のテンパイ打牌は真鍋の当たり牌だった。2,900は3,800の直撃。供託もあり、中野の条件は1,600・3,200ツモ、5,200の直撃条件となる。

 

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南4局4本場、真鍋は早々に一万四万七万のピンフのヤミテンを入れる。上家のダンプから打たれた七万を見逃し、そのまま下家の中野の打った七万で出アガリ。2,900は4,100を直撃し、中野に跳満ツモ条件を付きつけた。貫禄のある、落ち着いたうち回しである。

そして最終局、中野は一生懸命手を組むものの、条件を満たす形にならず、最後に一発ハイテイツモのタイミングでリーチをかけるものの、ツモることはできなかった。

こうして、真鍋プロの優勝が決まった。

 

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古川「最後のインタビューの時も、ものすごく神妙な顔していましたが、あの時も涙をこらえていたんですか?」

真鍋「いや、あの時はもう落ち着いてたよ!ああやって人前で話すのが苦手で・・・何を話せばいいのかわからなくて・・・。」

古川「いや、そこが真鍋さんっぽいけど、せっかくなんだからもっと喜びを表現してくださいよ!!!」

古川「悲願の東京での初タイトルは達成したわけですが、今後の目標をお願いします。」

真鍋「あと2つや3つのタイトルは獲りたい!!いや、2つや3つじゃ足りないか・・・。全部!!全部欲しいです!!」

東京で返り咲いた皇帝位の活躍は、まだまだ続きそうだ。

 

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最後までお付き合い頂きありがとうございました。
そして最後になりましたが、真鍋プロ、優勝おめでとうございます。