プロ雀士コラム

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「プロテスト」 黒木 真生

2017/08/15
執筆:黒木 真生


~引きずられるままに~

 

約20年前、西武新宿線の上井草。空が白んできた時分、新青梅街道沿いの自動販売機で缶ビールを買いながら、友人は「おい、プロテスト受けるぞ」と言った。
こっちに背中を向けながらだったし、言っていることがよく分からなかったので、「は?」としか返せなかった。
「プロテストだよ、麻雀のテスト。」
いや、俺そんなん興味ないし。
「冷たいこと言うなよお前。ノリが悪いぞノリが、関西人だろ。」
私はこの「関西人なんだからノリ良く場に合わせろよ」という考えが大キライである。
同じ関西人でも、大阪と神戸は違う。大阪人はともかく神戸の人間はテンションが低い。

「とにかく、受けるったら受けるんだからな。俺がプロの連中に麻雀というものを教えてやる。」
友人は強引で、私は流されやすいタチだった。

そいつは大学受験のために東京に出てきたはずが、いっさい勉強などせず、ずーっと麻雀しかしていなかった。いや、パチンコと競馬も存分にやっていた。時々、スロットやポーカーもやっていた。金がなくなると誰かに借りて、貸してくれる人がいなくなったら、桃鉄やバイオハザードをやっていた。

そんなやつが娯楽王ドン・キホーテを目指すのは勝手だが、私はサンチョ・パンサになぞなりたくはない。
うっとーしーなー、と思いつつも、実は私も麻雀プロの世界に興味を持っていた。
ただ、自分の麻雀の力がプロの世界に通用するとは思っていなかったのだ。

結局、流されやすい人間というのは、誰かに背中を押してもらうまで、何もできないだけなのかもしれない。

いざ受験すると決めたら、私は積極的になった。過去問を解いたりもした。

プロテストを受けるなら、当然、最高位戦だと思っていた。
だが、友人は言った。
「バカ、連盟だよ連盟。近代麻雀をよく読んでみろ。」
飯田とか金子とか井出とかバビィとかイガリンとか新津とか。ほら、最高位戦のプロばかりが出ているじゃないか。連盟は安藤とか優孝しか出てないぞ。
「ここ数年の最強戦の成績を見てみろ。連盟のやつらのが勝ってるだろ。俺が戦う相手なんだから、歯ごたえがないと困るんだよ。」
面倒くさかったので、近代麻雀で勝率を調べるような真似はしなかったが、そいつが見せてきた年の記事を見れば、確かに連盟のプロたちは好成績を収めていた。

何をやるにもだらしなかった私たちは、履歴書を郵送する締切にも間に合わず、コンビニで用紙を買って道端で記入し、そのまま東中野にあった連盟道場に持って行って、藤原隆弘さんに手渡しで申し込みをした。
受験料はその時の全財産だった。

大学は中退した。
冒頭で友人をディスったが、私も結局は同じようなものだったのだ。
親は懸命に働き、学費の高い私立大学に入れ、仕送りまでしてくれたのに、やっていることは麻雀なのである。

何だかんだ言いながら、私は結局、ドン・キホーテ卿と共に、風車に突進していったのだった。

 

 

~テストでの惨敗~

 

勇ましくもプロテストに突撃した私たちだったが、物語と同様にはじき返されてしまった。
2人とも麻雀の勉強だけはしっかりしていたので、ペーパーテストはそこそこ良かったのだが、実戦の成績が最下位と下から2番目だったのである。
ちなみに私がブービーで、ドン・キホーテ卿が最下位だった。

それでも当時は、よほどの事情がない限り不合格者を出さない方針だったようで、私たちは補欠合格となった。
正規合格を勝ち取った清水香織は、私たちを尻目に、年内にあった王位戦などのタイトル戦に出場し、一足先にプロ活動を始めた。

私たち補欠組は半年間の研修を受け、翌年の春からデビューすることができた。
その時は「何だよかったるいなー」と思っていたが、藤原さんや安藤満さんから半年にわたって麻雀を教わることができたので、結果的には良かったと思う。

現在の連盟のテストは、受験して一発で合格、というのが廃止された。そして同時に「研修」制度もなくなった。

どんなに優秀な人でも、テストは半年をかけて行われる。半年をかけて行われるのは研修ではなく、あくまでもテストである。
一次テスト、二次テストの成績が悪ければ不合格だし、三次テストに進んでも、最後のテストに受からなければならない。
ただし、その半年の苦労が水の泡になるかというと、そうではないと思う。
昔、私が半年間の研修を受けた時よりも試験官の数は多いし、カリキュラムも進化している。
連盟が運営する夏目坂スタジオで対局をすることもできる。対局の内容は録画され、それを試験官の前原雄大さんと一緒に見ながら、教えてもらうことができるのだ。
また、解説や実況の練習もさせてもらえる。
前原さん以外にも、紺野真太郎、内川幸太郎、望月雅継、杉浦勘介ら、実力、実績、熱意のある人たちが試験官として立ち会い、真剣に麻雀を教えてくれる。
私が習いたいぐらいだと、本気で思った。
真面目にテストを受けてさえいれば、必ずプラスになるはずだ。仮に不合格となったとしても、得るものは大きいと思う。

 

 

~面接官は死神~

 

テストの面接の時、伊藤優孝さんから念を押されたのは「食えない世界だから過度の期待をされても困るし、今、ちゃんとした仕事があるなら、まずはそちらを大事にしなさい」ということだった。それをくどいぐらいに言われて、もし何か勘違いしているなら、今すぐやめなさい。受験料は返してあげるから、と言われた。
私が遊びに行っていた雀荘には他団体のプロ雀士の方が数名いて、実情は聞いていたので、勘違いはしていなかった。
麻雀の仕事で生活するつもりはなかったので、その旨を話したら、優孝さんは安心してくださった。
この人、ファミコンの「極(きわめ)シリーズ」という麻雀ソフトでは、怖い顔の写真を使われて「死神の優」というキャッチフレーズでやってたのに、実際は優しいんだなと思った。

話はそれるが、私が連盟に入って一番びっくりしたのは、この優孝さんという人の果てしなき優しさである。
二年目のある時、優孝さんその他数名で地方の仕事に行った。なぜいったのか、どこに行ったのかも覚えていないが、優孝さんが私に親切にしてくれたことだけはよく覚えている。
私は仕事の集合時間ギリギリまで寝てようと思っていたのだが、朝9時ごろ、ホテルの電話が鳴った。優孝さんの低く、太い声だった。
「お、寝てたか。おはよう。」
はい、おはようございます。
「お前、腹は減ってるか?」
はい、減ってます。
「よし、じゃあ、下の食堂においで。別に急がなくていいから。」
そう言って電話が切れた。
わけがわからないまま急いで服を着て、ボサボサの頭のままビュッフェ形式の食堂へいくと、ポツンと優孝さんだけが座っていた。
もう片づけが始まっていて、他の客は誰もいなかった。
「お、早かったな。もう閉店だって言うから、適当に残ってるものを集めておいたから。ゆっくり食べなさい。俺は出かける準備をするから。」
優孝さんはそう言って自室に戻られた。
私はただ、ありがとうございます、としか言えなかった。

もちろん私とて、それまでに人から親切にしてもらった経験はいくらでもある。
しかしそれは、家族や友人など、もっと深い人間関係において、である。
優孝さんには面接もしていただいたし、その後2、3回は食事の席に同席させてもらったりもした。だが、無名の若者に、そこまでしてくれるのはなぜだろうか?

その日の昼、仕事の場でお会いした時に改めてお礼を言い「しかし、なぜ俺なんかに親切にしてくださるんですか?」と、ストレートに聞いてみた。そしたら優孝さんは「だってお前は仲間だろ」とおっしゃった。
優孝さんは、俺みたいな小僧でも仲間扱いしてくれるんですか?
「日本プロ麻雀連盟に入った奴は、みんな仲間なんだよ。」
優孝さんの言葉は飾りがなく、真っ直ぐだった。あまりにも真っ直ぐすぎて、インチキ臭さは微塵もなかった。
外からプロ団体を見ていて感じていた胡散臭さのようなものは、中に入ってみてまったく感じなかった。
中にいる人たちは意外すぎるほど純粋で、優しい人の集まりだったのだ。
私はそこそこ疑り深い性格なのだが、この人たちの純情さは素直に受け止めた。

これは後から麻雀界の歴史を勉強して知ったことなのだが、日本プロ麻雀連盟の、優孝さん世代の人たちは大変な苦労をされてきた。
もっと先輩の小島武夫さん、灘麻太郎さんたちを支えながら、麻雀プロの組織を自分たちの手で立ち上げ、その過程で、ある方面から攻撃を受けた。
もちろん、別の方面からの援助もあったのだが、いずれにせよ、闘わなくてはならなかった。
卓上の、麻雀の闘いなら「望むところ」の人たちだが、権力や世間の目と闘うのは正直しんどかったと思う。

職業雀士の個々の権利を守るため、共同体を作ろうという発想から生まれた日本プロ麻雀連盟だが、誕生の過程で受けた苦難によって、いっそう「自分の身は自分たちで守る」という意識が強くなったのだろう。
それが仲間意識にもつながったのだと思うし、自分たちが作り上げてきた日本プロ麻雀連盟への愛着となっているのだと、私は思う。

 

 

~プロ団体の意義~

 

世の中に色々なプロの世界があるが、麻雀のプロほど合格のハードルが低いものはない。
時代によって合否の判断基準が違うため一概には言えないが、かなり簡単にプロを名乗れてしまうのは間違いない。

逆に、プロになった後が大変だ。
テストに合格さえすれば、何か仕事があるわけではないし、生活の保証がされるわけでもない。
ただ、個人事業主であるプロ雀士になり、そのプロたちの共同体であるプロ連盟の一員になった、というだけの話なのである。
連盟のプロとして色々な活動はできるが、自分の生活は自分で面倒を見なければならない。
気ままな自由業なのであるが、ただし、仲間に迷惑をかけるようなことはしてはならない。
自分さえ良ければ良いという言動も、目に付くようだと看過はされない。そしてそういう種類の人は、いずれ自ら去っていく。

それが日本プロ麻雀連盟というものだ。お互いに助け合いはするが、組織が個人に仕事や報酬をくれるわけではない。

私も、最初の2年間は何もできなかった。ただ、試合に出て麻雀を打っていただけである。
これではプロ活動をしているとは言えなかった。
誰が見ているでもなく、ただ麻雀を打つだけではプロの仕事とはいえなかった。

目標を見失ったり、仕事や家庭の都合があったり。個々の事情があったのだろう。私と一緒に受験した人たちは何十人もいたが、ほとんどの人が辞めていった。
ドン・キホーテも、いつの間にかいなくなっていた。

しかし2年目に「ビクトリー麻雀」という雑誌が創刊されたことで様子が変わってきた。
企画者の前原さんや編集長が、私たち若手プロに原稿を書かせてくださった。
当時は「麻雀プロは書けなければならない」という時代だった。
今のように手軽に映像配信ができない時代で、麻雀プロが表現する手段の最たるものは紙媒体だったのである。
私は四苦八苦しながら原稿をたくさん書いた。
とにかく、やりたいとさえ言えば、仕事はいくらでもいただけた。先輩たちで独占せず、惜しげもなく、若手にやらせてくれた。
普通の世界ならありえないと思うが、それが連盟の先輩たちの考え方だ。
自分たちの後に続く者たちがやる気を出しているんだから、やらせてやろう。
前原さんだけでなく、荒正義さん、伊藤優孝さん、森山茂和さん、皆さんがチャンスをくださった。

その後、麻雀格闘倶楽部が始まった時もそうだった。
当時副会長だった森山さんが、この仕事を切り拓いた。
最初は監修してほしいという話だった。ただ、監修とは言っても、少しアドバイスをする程度で、実際に開発にかかわるようなものではなかった。
森山さんはそのままハイとは言わず、もっと関わらせてもらえるよう交渉した。
ちゃんと深く関わった方が、きっとお互いのためになると考えた森山さんは、自腹で神戸まで何度も行き、開発チームの人たちと話し合ったという。
森山さんは過去にいくつかの麻雀ゲーム開発に携わっており、そのノウハウや経験則を持っていた。
うまくいかなければ一銭にもならない行動だったが、絶対に連盟の将来にプラスになるという信念で動き続けた。

結果、麻雀格闘倶楽部は空前の大ヒットゲームとなり、全国のゲームセンターに行列を作った。

コナミの方からは感謝され、連盟のプロたちは、その後ずっと大きなお仕事をいただけるようになった。
大ヒットを受け、プロ雀士を出演させるアイデアも実現してもらうことができ、連盟のプロたちが活躍する大きな舞台が生まれた。

森山さんは、小島さんや灘さん、二階堂姉妹ら知名度の高い人を前面に押し出しつつ、私たち若手を押し上げてくださった。

麻雀格闘倶楽部は15年経った今もバージョンアップを繰り返しながら、全国のゲームセンターでファンに愛され続けている。

エンタメ~テレの「天空麻雀」もそうだし、連盟が事実上運営しているインターネット麻雀サイト「ロン2」もそうだ。
森山さんは、常に次の世代のことを考えて、物事を進められる。

今は会長になられた森山さんは、いつもおっしゃる。
「俺たちはどうせ先にいなくなる。その後、君らがどうするか。そのために色々と準備できるものはしてあげたいけど、後を引き継ぐのは君たちの世代だからね。」

最初は軽い気持ちで入ってきたプロ業界だったが、先輩方の姿を見ている内に、否が応でも、連盟への愛着みたいなものが気持ちの中に芽生えてきた。

気づけば私も年をとり、世代としては中堅と呼ばれる域に入ってしまった。いや、普通に考えたら初老と呼ばれる年齢なのだから、甘えたことは言っていられない。
今度は私たちが、後に続く人たちのことを考え始めなければならないのだ。

私にも、できるだろうか。

 

 

~映像の時代に耐えられてこそ本物の「プロ」~

 

少し前、ある方が森山茂和会長と世間話をしていて「連盟さんの成功の秘訣は、やっぱりマスメディア対策ですか?」と聞かれたことがあった。これに対し、会長はノータイムで「いや、雀力です」と答えられた。
相手の方は、意外そうな顔をされた。
「もちろん、お仕事をする相手に得をしてもらおうという気持ちで頑張ってはいますが、プロ雀士の雀力がなかったら話にならないじゃないですか。ウチは雀力の向上を一番に考えてますよ。」
ここで言う雀力とは、プロとしての雀力だ。
雀力にも色々な意味があるが、プロとしての雀力は、麻雀ファンや番組制作者が観て「イイネ!」をつけられる麻雀が「恒常的に」打てる力を意味する。
恒常的に、というのは、ただツイていて、たまたま良い麻雀が打てているだけではダメという意味だ。不調時にも、さすがと思わせられなければならない。
本当にたくさんの引き出しを持った、強い打ち手でなければならない。

会長は続けた。
「最強戦やモンドに連盟員が多く出ていますけど、負けたら出られなくなります。ただ、過去に勝った人や、良い戦いをした人が、また呼んでもらえているだけです。その結果、連盟の選手が多く出されているだけなので、私たちは結局、良い戦いをして、勝つしかないんです。別にマスコミ対策をやっているわけじゃないですよ。」

映像の時代になって、雀力の高いプロ雀士に、よりいっそう需要が集まっている。
雑誌に全局の牌譜が掲載されることはまずありえない。面白い部分、良いプレーが出たところのダイジェストだけが載るので、逆に失敗したようなところは世に出ない。

しかし、映像対局では一打一打、すべてがさらけ出されるので、本当にどの打ち手が強いのか、ファンが観ていればわかってしまう時代になった。

今のところ、連盟のプロを多く使ってもらえているのはありがたいことなのだが、これは既得権益でもなんでもなく、結果や内容が悪くなってくれば、徐々に使われなくなってくる。
ましてや今は、色々な媒体で麻雀対局がとりあげられるようになってきた。

かつてはMONDOTVでしかプロの麻雀対局を観ることはできなかったが、今やエンタメ~テレ、テレ朝チャンネル、日テレプラス、フジテレビONE/TWO/NEXTなど、CS各局でプロ雀士が活躍できるようになった。
CS以外では、AbemaTVの麻雀チャンネルが24時間無料で麻雀対局番組を放送し、話題を呼んでいる。

プロとしての自分を表現できる対局の場は、こんなにも増えているのだが、肝心の「イイネ!」と言われる「プロ」の数が、さほど多くはないのだ。
いつもだいたい同じような人が出ていて、視聴者や制作サイドからは、もっと新しい、良い打ち手はいないのかと、常に言われ続けている。
もちろん、新たにチャンスをもらって出ていく若手もたくさんいるが、皆が皆「イイネ!」と言われるわけではなく、玉砕して帰ってくることも多い。

でも、失敗してしまったら、また練習してやり直すことができる。

連盟では、若手プロを対象とした麻雀勉強会も開催している。
また、全員が参加できるわけではないが、もっとハイレベルな次元の研究会もある。前原さんや荒さん、森山会長が、親身になって麻雀の指導をしてくれる。連盟員の雀力向上のため、先輩たちが時間を削って、場を作ってくださっているのだ。
荒さんは奈良に引っ越したので毎回とはいかないが、前原さんと会長は毎週出席されている。
ギャラをもらってほしいと頼んでも受け取ってはくれない。本当に頭が下がる。一人でも多く「イイネ!」をつけられる、雀力の高いプロになってもらいたい。その一心なのだと思う。

他団体の方が解説の際によく言われるのが「連盟さんはタレントが豊富だから」というフレーズ。
とてもありがたい誉め言葉である。
タレントとは「才能」のことで、麻雀プロにとっての一番の才能は「雀力」だ。それを日々、磨いていることへの賞賛だと私は受け取っている。

また、タレントという言葉には、イコール「マルチタレント」という意味も含んでいる。
色々な分野で活動されており、職業の特定が難しい人への呼称である。
連盟でも、ただ麻雀を打つだけではなく、色々な才能が伸ばせるようにと、少しは努力をしているつもりだ。
たとえば、実況、解説が少しでもうまくなるようにと、プロのアナウンサーの方を定期的にお呼びして、講義をしてもらっている。
映像制作に興味がある人がいれば、配信のスタッフとして起用し、勉強してもらう。
文章が書きたければ、心得のある人が教えたり、ホームページで原稿を書いてもらったりしている。

私たちにとって専門は麻雀だけなのであるが、麻雀に関わっていることであれば、少しでもマシになるよう、努力をしようというのが基本姿勢だ。

 

 

~庄田ボーイ~

 

何年か前、私が秋葉原のドンキ・ホーテ(ドン・キホーテとちゃいますよ)で麻雀格闘倶楽部を打っていたら、高校生に話しかけられた。
「黒木さんですよね! ぼく、石川県からきました庄田祐生と言います。高校を卒業したら東京にきて、連盟に入りたいと思います!」
厳密にいうと、彼は私のプレーが終わるのをずっと待っていて、終わってから話しかけてきたのだ。
プレーの邪魔にならないようにと配慮してくれたのだった。

私はいつも、プロになりたいという若者がいたら、必ず「やめておきなさい」と言ってきた
あまり多くの物がない世界だから、もっとマシな選択肢があるだろうと思ってのことである。

だが、この時だけはなぜか言えなかった。彼の勢いに負けたのか何なのか。「頑張ってね」としか言えなかったのである。

それから数年が経ち、あの時の高校生が連盟に入ってきたことを知って、私はアチャーと思った。
しかも、お母さんとケンカになったりしたらしい。
でもまぁ、私が止めたからといって入ってくるのをやめるわけでもなし。しょうがないと思っていた。

そしたら間もなく、彼がチャンピオンズリーグで優勝したというではないか。
しかも、連盟チャンネルの視聴者から、蝶ネクタイをいじられたり、優勝して号泣している姿をさらけ出すなど、なかなかうまく自分を表現していたという。連盟チャンネルという小さな媒体の中ではあるが、かなり人気者になっていた。
その後、観戦レポートを任された時も手を抜かず、全力で取り組んでいたと聞く。
こうやって出ていく人もいるんだと感心させられた。

私は流されながらも、結局は自分の意志で麻雀の世界に残り、面白がってここまでやってこられた。
先輩や後輩、仲間に恵まれた。運が良かったのだと思う。

若い連盟員が活躍する姿を見て、なぜか少し嬉しいような気分になったのだが、先輩たちも私たちのことを見て、そう思っていてくれたのかと、ほんの少しだけ理解できたような気がする。

もちろん、まだまだ老け込んではいられない。私は私で、自分の麻雀を磨いていかねばならないのだが、同時に、これからどんな面白い人が連盟に入ってくれるのか、楽しみなのである。

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